生い立ち
プロ雀士となるまで、雌伏の時
1976年4月11日、静岡県生まれ。
常葉大学を卒業後、サラリーマン生活を経て26歳の時に、連盟のプロテストに合格。日本プロ麻雀連盟静岡支部のC2リーグに配属となる。
しかし、佐々木寿人、内川幸太郎、白鳥翔ら同年代の雀士たちが台頭する中で、なかなか戦果が上がらない時期が続く。それにより、一時期は腐りかけていたと本人は後年になって語っている(関連動画参照)。
プロ雀士として苦しい時間を過ごすなか、日吉は思わぬ形で転機を迎えることとなる。
人生の転機
2013年頃、配信企画が増加し、対局の実況ができる雀士を探す必要に迫られていた連盟が、静岡支部のイベントなどで司会を務めることが多かった日吉に実況を打診し、既に実況としても活動をしていた勝又健志プロらと共に実況に携わるようになる。ほどなくして勝又プロが連盟主催のリーグ戦で最高位となる「鳳凰位」を獲得して選手としての活動が増えたため、日吉は瞬く間に連盟の実況の顔的存在となった。
すると2019年、前年に発足したMリーグが新たな実況として日吉に加入を打診し、元プロ雀士の小林未沙・松嶋桃プロに次ぐ3人目、男性では初となる公式実況に就任。
既存の2名とは一線を画する実況スタイル(後述)が人気を博し、麻雀の門戸をより拡大した第一人者と目されるまでになった。
2023年にはKADOKAWAより初の著書「ヒヨシの超実況 これが麻雀実況者の生きる道」を上梓。
実況スタイル
- その実況スタイルは、一言で言えば「熱血」。
- 日吉が加わる以前から実況を行っていた小林・松嶋両者の実況は冷静無比に状況を分析する落ち着いた内容に定評があったが、日吉プロのそれは独特の表現やアクション、選手の心情のリアルな推察などを随所に取り入れ、試合展開次第では絶叫も辞さない、格闘技の実況のようなエキサイティングな盛り上げ方に特徴がある。
- その一方で、自身の熱血実況の効果を最大化させるための計算や事前準備に余念がなく、当日も試合開始直前ぎりぎりのタイミングまで楽屋取材をすることを実況開始当初からのルーティンワークとしている。
- 当然このスタイルには賛否両論があり、「風」に代表されるオカルトめいた発言もあることから、特にデジタル派の中には反対論も根強いというが、日吉プロ本人曰く、自身のトークは「麻雀を知らない人がなんとなく観たときに興味を持ってもらえるトーク」を意識して設計しているといい、それ故に「実況の最優先事項は視聴者の感じる『楽しい!』であるべきで、そのためならば、ときに公正さを欠く実況や、選手の思惑とは異なった表現の実況をするかもしれない」とのスタンスを取っているとのこと。
- ちなみに、実況に備えた楽屋取材の過程で、何名かの選手の二つ名の考案主になっている。例として、丸山奏子プロ(元赤坂ドリブンズ)の「花まるシンフォニー」や日向藍子プロ(渋谷ABEMAS)の「笑顔のサンシャイン」は、いずれも日吉が考案し、実際に用いられた。
- また、高宮まりプロ(KONAMI麻雀格闘倶楽部)が21-22シーズン頃から守備の重厚さを意識した雀風を模索し始めた際には、前シーズンまで格闘倶楽部の同僚だった大御所・前原雄大プロが高宮プロに「身体ごとぶつかってゆけ」と助言したとの逸話からその雀風を「ボディ麻雀」と命名、こちらも定着した。
- さらに、オーラスでトップからラスまでの全員が2万点台に収まる接戦を最初に「全員集合」と言い出したのも日吉である。
関連動画
日吉プロの半生・実況者としての取り組み
日吉プロによる実況名シーン(一部抜粋)
「ふざけんな!俺の32000返せ!」
「国士無効」として話題となった、仲林圭プロ(U-NEXTPirates)の名シーン。日吉プロによる心中推察実況の最たる例のひとつ。
一級フラグ建築士・日吉辰哉
七対子で立直を仕掛けた魚谷侑未プロ(セガサミーフェニックス)と、その顛末。日吉プロが言及した事態が次々と発生する様はまさに必見。
Mリーグ記録に直面
日吉プロはMリーグにおける最多得点記録更新試合(赤坂ドリブンズ・鈴木たろうプロ)と最少得点記録更新試合(KADOKAWAサクラナイツ・内川幸太郎プロ)の双方に立ち会っている。
コレがホントの難波船
渋川難波プロ(KADOKAWAサクラナイツ)に降りかかった悲喜劇。
古舘伊知郎とトーク
その1
その2
その3
日吉プロと同じく熱血実況で有名な古舘伊知郎氏のYouTubeチャンネルにゲストで呼ばれた。
関連項目
俺の32000返せ 平均放銃点40000点、平均あがり点1500点。