概要
朝日訴訟(あさひそしょう)とは、1957年(昭和32年)に、国立岡山療養所に入所していた朝日茂(あさひ しげる、1913年7月18日 - 1964年2月14日:以下「原告」)が厚生大臣を相手取り、日本国憲法第25条に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)と生活保護法の内容について争った行政訴訟である。
「朝日訴訟」の名称は原告の姓から取られたもの。なので別に朝日の日照権を争ったものではないし、あまつさえ朝日新聞を相手にした裁判でもない。ただ、そういう意味でも紛らわしい事から近年は別の通称が使われる事もある(後述)。
日本国憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」としている。これは生存権と呼ばれる権利である。
昭和42年5月24日に最高裁判所より発せられた判決により、この規定について、「国の責務を宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を付与したものではない」とした。
この判決はその後の判決を決めるために参考される判例となり、のちの同種の裁判に対しこの基準が適用されることとなった。
詳細
訴訟者となったのは結核を患った人物、朝日氏であり、彼は生活保護および医療扶助を受けていた。そして当時の生活保護の金額では療養所での生活が困難であったため、増額を求めていた。
ところが福祉事務所側はそれに対し「兄への仕送りを求め、生活が困難であるとされたそれまでと同じ金額を訴訟者に渡し残りを医療費に充てる」という政策をとった。
この行為を不服とした訴訟者は知事及び大臣に不服申し立てを行うものの却下され、これらの行為を不服として厚生大臣を訴え、生存権を盾に「生活保護法」の違憲性を問う裁判を起こした。
裁判の流れ
この裁判においては第一審は「生活保護法において日用品費月額が現状で抑えられているのは違法」であるとしてその処置の取り消しを行った。厚生大臣側は控訴を行った。
ところが、控訴審において「現状の日用品費月額は十分ではないものの、不足分を計算した結果不足は一割程度でありその程度であるならば憲法には抵触しない」として第一審の判決を取り消した。訴訟者は最高裁判所に上告した。
そして上告審にて争われることとなるが、裁判中に訴訟者が死亡し、養子が訴訟を引き継いだものの、生活保護および医療扶助は本人のみの権利であり、相続されるものではない、として最高裁判所は裁判の終了を宣言した。
最高裁の判断
ただし、念のためとして憲法と生活保護法に関する解釈が示され、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されているとされ、支給費用の不足に関しては憲法には抵触しないことが示された(これを念のため判決という)。
ただし、最高裁判決において金額の不足に対し、増額を認めなかったことに対する是非を示さなかったことに関しては評価しない。
この裁判の判断としては、昭和23年に判決が下された食糧管理法違反事件、これは戦後の食糧不足の際食糧管理法自体が生存権を侵害しているとして争われたもの、の判決で行われた解釈、すなわち「憲法にある生存権は個々の國民に對して具體的にかかる義務を有するものではない」を踏襲したものとなっている。
影響
そもそもこの問題は「当時の生活保護の支給費用の計算法が状況にあっておらず、生活に困難を生じる金額しか支給されていなかった」ことから発生し、そのこと自体は裁判でも認められた問題であるため、その後の生活保護の給付金額等の見直しのきっかけを作ったとされる。
また、生活保護に関する判例であるため、生活保護や各種年金や手当等、各種の貧困に対する裁判において重要となっている。
余談
時代が進むにつれ戦後の記憶が薄れつつある現代では、この訴訟の通称である「朝日訴訟」の字面を見ただけでは、日照権を争った裁判と勘違いされる事が多くなってしまった。
そのため近年では別の呼称として「生存(権)裁判」あるいは「人間裁判」という通称を用いる場合がある。
朝日氏が入所していた国立岡山療養所(現在の「国立病院機構 南岡山医療センター」)の東口には、本裁判の記憶を後世に遺すべく支援者たちが建てた人間裁判の碑が存在している。
関連項目
健康で文化的な最低限度の生活:柏木ハルコによるビッグコミックスピリッツで連載中の漫画。生活保護制度について取り扱っている。