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栃東知頼(初代・栃東)

1944年9月3日生まれ、福島県出身。

本名は「志賀駿男」。

1960年、高校在学中に春日野部屋からスカウトされて高校を中退し入門。同年の11月九州場所で初土俵。

1967年3月の春場所にて新入幕。最高位は関脇止まりであったが、1972年初場所では幕内優勝争いに食い込んで11勝で最高優勝を果たした。

1977年初場所の現役引退後は年寄「玉ノ井」を襲名し、1990年に部屋を独立。次男・太祐を大関の地位まで育てあげた。2009年に日本相撲協会を退職。

栃東大裕(2代目・栃東)

1976年11月9日生まれ、東京都出身。

本名は「志賀太祐」。初代・栃東の次男。

最高位は大関、幕内最高優勝3回。また序ノ口から幕内までの各段で優勝したことのある力士でもある。

高校在学中、父親の玉ノ井部屋に入門し1995年初場所にて初土俵。

1996年九州場所で新入幕。三役の地位に到達するも怪我の影響で戦線離脱を余儀なくされる事が多々あり、2001年九州場所でようやく大関昇進を決め父が果たせなかった夢を叶えた。

初場所の新大関場所で、幕内最高優勝。怪我が相次ぎ2度大関から陥落するが、「次の場所で10勝すれば特例復帰」を2度とも達成、史上初めて2度とも大関に帰り咲いた。

2005年春場所で朝青龍の連勝を27で止めた、この時に栃東が勝っていなければ朝青龍は名古屋場所の琴欧洲戦前まで52連勝していたかもしれなかった。

2006年初場所にて3回目の幕内最高優勝した後は、日本出身力士の幕内最高優勝が(琴奨菊まで)10年間途絶える事になる。

2007年春場所後、高血圧に伴う脳梗塞・くも膜下出血のリスクで生命危機にあることがわかり現役を引退。父親の退職後に年寄「玉ノ井」を襲名して部屋を引き継いだ。

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