概要
語源は『三国志』の劉備が軍師・諸葛孔明を三顧の礼で迎え入れた時「狐(自分)の孔明有るは、猶魚の水有るがごときなり。願わくは諸君(部下たち)復言うこと勿れ」と言って、不平を漏らす関羽や張飛と言った旧来の家臣たちをなだめたことが由来とされる。
つまりは魚は水を得て動くことができるのだから、本来の意味は「切るに切れない関係」ということになる。こちらは水魚の交わりと呼ぶ方が一般的だろう。
現在では「干されていた魚が遂に水を得て泳ぐことが出来た」ということ、つまりは得意なことや興味のあることで生き生きと活躍する意味で取られがちである。どちらかと言えば先述した「水魚の交わり」を前者、「水を得た魚」を後者の意味で使うことが多いかもしれない。ちなみに読みは「みずをえたうお」で、「みずをえたさかな」は間違いである。