概要
東方Projectに登場する霍青娥(青娥娘々)の二つ名の一つ。
青娥が『東方茨歌仙』に登場した際のものである。
『茨歌仙』では各キャラクターの二つ名はそのキャラクターを象徴する四字熟語など四文字の語と、キャラクターの種族や職業などを示す語の二つの属性で構成されることが多い。
青娥の場合は「仙人」と、キャラクター性や具体的な行い、あるいは作中青娥とも関連して語られるテーマなどにみる「無理非道」の二種と通して二つ名が構成されている。
青娥は道教に基づく仙人であるが、その手によるものや性格から「邪仙」となっている。
「無理非道」
「無理非道」とは、物事の道理や人道から外れていることを示す四字熟語である。
構成する要素である「無理」・「非道」のいずれも道理に反する、人道から外れているなどの意味をもち、さらに人間に向けて使用される場合は単に行いや事象ばかりでなく「人情を欠いている」など対象者のメンタリティにも意識を向けるものでもある。
「理」や「道」にかかる否定をそれぞれ入れ替えた「非理」、「無道」などの語もそれぞれあり、いずれも先述のものと同様の意味を持つ。「(物事の)道理が無く」(無理・無道)、「(人としての)道にも非ざる」(非道・非理)といった様である。
主にネガティブなニュアンスで使われる。
言葉のニュアンスに、「人道」に関わる語がオブラートに包まれることのない真正面からの否定を伴ってはっきりと、さらには二段重ねてこれでもかと言わんばかりに含まれていることからも言えるように、例えば「これまでの既存の常識にとらわれない革新的な精神性」などを指す語(ポジティブなニュアンスを含む語)として使われることはまずない。
他人に使う場合、あるいは他人から使われる場合、強烈な否定を伴うメッセージとなり得る。
文学や教養としての場面以外、特に日常の中ではまず出会うことのない(シチュエーションからして出会いたくない)四字熟語の一つである。
無理非道の仙人
青娥の対話における物腰の柔らかさやノリの良さなどは一見しただけでは邪仙的なものを感じさせない。『茨歌仙』作中では茨木華扇も、青娥に実際に対面した後で前評判に聞こえていた青娥の邪悪さに疑問を抱いている。
しかしその手によるものは青娥が使役するキョンシーである宮古芳香(青娥の登場が第十二話のみの現在時点の『茨歌仙』では未登場)をはじめ<邪符「ヤンシャオグイ」>など生命の法則に邪な術を用いて挑む外道のものであり、「無理非道」の体現ともいえるものである。
当の青娥は自らの欲求に忠実誠実で社会の道徳や慣習、倫理に囚われず、自らの価値観によるものを最大限実現しようとする姿勢を貫いており、悪意からも解き放たれた純粋な「道」の探究者の姿もまたある。
それが「無理非道」と評されるものであろうとも自らの探究心に忠実な、青娥の揺らぐことのない心の強靭さと、あらゆる道徳的障壁をも壁抜けしていく飄々とした様もまた垣間見られるものとなっている。
『茨歌仙』での青娥
青娥は初登場した『東方神霊廟』以後もその「壁をすり抜けられる程度の能力」も応用しつつ幻想郷各所で暗躍しており、例えば文々。新聞が取材したケースなどではクリスマスに乗じた新しい商売を見出している。その内容は、実に無理非道である。
稗田阿求などは青娥について「 他人を大切にしない 」としており、もし青娥からの接触がもたれてもを持っても相手にせず青娥がこちらの興味を失うよう仕向けることを推奨している(『東方求聞口授』)。
ただしいずれも青娥が相手を貶めようという、明瞭な悪意を成すことを目的として接しているものではない。先も「暗躍」などとしたが、本人はさっぱりとしたもので、ここでも自身の興味関心の物事に忠実に、それを最優先に行動する生き生きとした青娥の姿が描かれている。
東方Projectにおいて、一般に寿命を延ばす行為は適正な寿命と正常な輪廻を管理する地獄の業務と対立するもので、地獄から送られる死神と文字通りの命を懸けた抗争の連続を意味する。正常な輪廻の観点からは寿命を不当に延ばす(輪廻に逆らう)という行為そのものが「無理非道」にあたるものでもあり、青娥もまた地獄からマークされている。
『茨歌仙』作中で青娥に関連して語られる「無理非道」は、河童のアジトへの侵入もさることながら、こちらの「死を術で回避する」という「無理非道」により力点が置かれている。
所謂「お迎え」の部署ではないものの、同じく死神である小野塚小町は青娥について「 厄介な奴 」・「 かなり邪悪 」と評しており、青娥の実力の高さもあって『茨歌仙』では格のある有力者が青娥への刺客として送られている。『茨歌仙』では寿命を延ばすという青娥の「無理非道」に対して対処がなされようとする様が描かれているのである。
しかし青娥も手慣れたもので、数日間の攻撃に耐えながらやがてその攻撃の手から脱出し、今回も地獄との闘いに(命を繋いだという意味で)勝利している。ただし今回青娥を襲った攻撃は青娥の能力の特性を考慮に入れ対処したものでもあった様子で、青娥が追い詰められるシーンもあった。
「 この程度で死んでちゃ 仙人にはなれないわ 」(青娥、『茨歌仙』)
この他『茨歌仙』単行本第三巻総扉(カラー)にも件の簪をかざすポーズで登場している。
名刺
青娥は先の攻撃からの脱出先で出会った華扇に名刺を手渡している。
記載された名義は「 青娥娘々 」で、「 仙人 」の肩書も記載している。
名前の末尾には「 ♡ 」も描かれるなど、青娥の人当たりの良さ、フランクさが表れている。
この名刺を手渡すシーンでの青娥は「 完全に水責め状態 」の攻撃から逃れてきて直後の、全身水に濡れた状態であったが、名刺はその質感を保っている。
元々保存に際して何らかの特殊な術が掛けられているか、材質が特殊であるか、あるいは脱水乾燥に関して特殊な技術(例えば状態記憶)をもつかなど多様な可能性が考えられる。
青娥の仙術の深みは計り知れない。
容姿・服装
本作での青娥は概ね『神霊廟』初登場時と同様であるが、本作ならではのデザインとして、横髪にみる「 ゆる巻き 」のロール等がある。目元は「 ツリ目 」で「 下まつげ 」が特徴的で、「 ねこっぽい 」イメージ。
前髪の分け目については「 華扇と逆 」としているなど、華扇との対比が織り込まれてもいる。
また本作では素足で靴を履いている。
『茨歌仙』の「仙人」
『茨歌仙』作中において青娥同様にその二つ名に「仙人」の語を持つキャラクターとして華扇や豊聡耳神子がある。『茨歌仙』での二つ名はそれぞれ「片腕有角の仙人」、「天資英邁の仙人」。
三名はいずれも「仙人」ではあるものの二つ名を通して象徴されているそれぞれのキャラクター性は大きく異なり、各々の個性が強く現れたものともなっている。