概要
神子が『東方茨歌仙』に登場した際のものである。
キャラクターの二つ名の多くがそのキャラクターを象徴的に表すなどの関連を持った四字熟語等の四文字の語と、当該のキャラクターを象徴的に示す(例えば種族や職業など)語の二つの要素から成る事が多いのが『茨歌仙』における二つ名の特徴。
本作での神子は「天資英邁」の「仙人」である。
神子は道教の秘術を行使しその道を探究する仙人でもあり、作中でも他者からも神子が仙人として他者に教えを注いだり、あるいは仙人として知られている様子も描かれている。
天資英邁
「天資英邁」とは、「天性の資質(才覚・才知)が他者よりも特別優れている」という意味をもつ四字熟語である。「天資」は生まれながら(「天」性の)資質を指し、「英邁」は人格や才能が優れていることを指す。「英」の語に優れる・秀でるの意味があり、「英邁」にみる「邁」は他に先んじることを意味する。
同種のニュアンスをもつ四字熟語としては同様に「天資」の語を用いた「天資英明」(-えいめい)などがある。「英明」もまた「英邁」と同様に優れた才覚をもつ様を示す語である。
また全体的なニュアンスは同様ながら細かい部分で違いがある四字熟語として「英邁闊達」(-かったつ)がある。こちらは才知が優れていることを示す点は「天資英邁」と同様であるが、「英邁」を成すものについて「天資」などの「天賦の才」に必ずしも限定していない。
いわば後天的な、本人が成長過程で培ってきた才覚・人格の高さである場合も含まれる。
さらに「闊達」には「心が広い」の意味が含まれており、「英邁闊達」は「才覚に優れ、心が広い(おおらか)」というニュアンスとなる。
「天資英邁」にも人格的な卓越のニュアンスは含まれるが、「英邁闊達」特有のものとして「心がおおらか」というより具体的な精神性・シーンが組み込まれている点もまた各々の違いの特徴でもある。
「天資英邁の仙人」には、神子の人並み外れた天賦の才の有様が象徴的に表現されている。
『茨歌仙』の神子
神子は『東方神霊廟』で復活して以後自らが生み出した空間に居住するようになったが、幻想郷に顔を出すこともしばしばある他、古くからの縁者や復活後に入門してきた門下生以外の人物などが神子の道場である神霊廟を訪ねることもあるなど、人々との交流もなされている。
『東方心綺楼』や『東方求聞口授』などでは神子がどこかに出向いて様々な活動をする様子が描かれているが、『茨歌仙』では神子が誰かの来訪を迎え入れる様子が描かれることが多い。
作中で神子のもとを訪れた人物としては茨木華扇や博麗霊夢がある。
『心綺楼』等においても神霊廟が登場しており、ここを決闘のステージとして相手を迎え入れるシーンも見られるが、『心綺楼』などの訪問者が決闘(弾幕ごっこ)を行うことも目的としているのに対し、『茨歌仙』では弾幕ごっこなどは抜きに神子を訪ねたものであるという点が異なる。
『茨歌仙』では仙人としての神子も描かれており、先述のように道教の仙人として(本人の意図とは必ずしも一致するものではないながら)弟子を従える様子や仙人としての道を語るなどの様子が見られている。
その仙人としての技術・能力の一端も語られており、神子によれば、本人にそれを実行する意思はないものの、人攫いや相手の記憶を消すなどのことは「 私クラス 」の仙人なら技術的には可能であるとのこと。
口調
神子は作品あるいはシーンによってその口調が変化することがあるが、『茨歌仙』でも神子もまた登場機会によって口調や雰囲気が異なる。
『茨歌仙』初登場時(第十八話)などでは『神霊廟』でも見られるようなマイルドな語り口が主体で、笑顔で皮肉を言う際などにはかわいらしいフォントも使われるなど柔和さが表れているが、その後登場した第三十五話などでは『東方深秘録』でもみられるような中性的なカリスマを醸す口調となっている。
例えば第十八話では「 人を超えたかったから ですよ 貴方もそうでしょう? 」等のセリフがあり、第三十五話では「 だがな 仙人を怪人の様に扱うではない 」等の口調によるセリフが見られている。
これらのセリフの違いについてファンの間では神子が相手に合わせて口調を変えているのではとの可能性を考えるものもある。例えば第十八話では話し相手は華扇であり、神子は華扇に対して同じ仙人としての敬意をもって接している。
一方第三十五話では話し相手は霊夢であり、霊夢とは既に複数回の接触があったこともあってよりフランクな間柄であるのでは、と想像する立場などを通してこの両者の違いをみるものもある。
一方で神子が両者いずれとも接する機会のある『深秘録』では神子は華扇と霊夢のいずれに対しても第三十五話でみられるようなカリスマフルな口調で接している。時系列としては、第三十五話は『深秘録』以後である(同話時点で『深秘録』で初登場する宇佐見菫子がすでに夢を通した形で幻想郷を何度も訪れている)。
この違いについての別のアプローチとしては尸解入りから現代までの時差ボケから目覚め、より神子の地の部分が出やすくなった(幻想郷に神子なりに馴染んだ)のではといった視点や、道場を運営したり人助けをしたり(例えば『東方求聞口授』)、講演会を開いたり(『東方文果真報』)する中でかつてのような指導者・為政者としての側面が再び顔を覗かせる機会が増えてきている為ではないかと捉えるものもあるなど、『茨歌仙』でも見られる口調の変化について、古代から現代に至る長い歴史や活動、復活、そして現在への適応という神子の人生の歩みの過程の表れとして考察を寄せるものもあるなど、ファンの間でも様々な捉え方がある。
特徴的なポーズ
『茨歌仙』作画担当のあずまあやの記述によれば神子は「 右手を胸にあてる 」ポーズをよくとることがある。握りこぶしを胸の中央付近に寄せたり軽くたたくようなしぐさをとるもので、一般的な表現・ジェスチャーとしては「(私に)任せてください」のような、他者に対して「私」に焦点をあてたり、独白などの際は内面の「私」に意識を深めるといったシーンの表現でも使用されるものと似ている。
このポーズは門下生たちにも男女問わずみられており、神子の道場においてこのポーズは挨拶、敬意を表すなどのニュアンスもある模様である。
なお、神子についてワンシーンだけ、握った状態ではなく指を開いた状態で胸に手を当てるカットもある。
容姿・服装等
本作では神子の服装やヘッドホンを含むアクセサリーのデザイン・模様について細かく資料がつくられており、『茨歌仙』単行本第四巻の欄外にその記載が見られる。
服装では襟元の「 金属の花 」のアクセサリーをはじめ「 左胸 」の部分だけ垂らされている「 金色のヒモ」などが本作の神子に特徴的。
神子のヘアスタイルの特徴でもある大きな耳のような豊かな髪型も本作でも見られている他、頭頂部にいわゆるアホ毛のような特徴的なハネもみられている。
目元はふくらみのある「 ツリ目 」。
八重歯がかわいい。
作中では笑顔をはじめ困り顔、シリアス、真面目、高笑いとその表情は非常に豊かで、霊夢に対しては悪戯っぽく笑って見せたりもするシーンもあるなど、神子の感情豊かな人間味が表れている。
第十八話では扉絵及び回想シーンのみ『心綺楼』でも見られたマントを着用している。
このマントは第三十五話ではみられていない。
また『神霊廟』や『心綺楼』など、神子が弾幕戦にも赴く際などに腰に備えている剣については、日常シーンの延長などでもあるためか『茨歌仙』三十五話までの時点では所持していない。
「仙人」たち
神子同様に同じく「仙人」としての二つ名を伴って『茨歌仙』に登場するキャラクターとして本作主人公である華扇の他に霍青娥がある。それぞれの『茨歌仙』における二つ名は華扇が「片腕有角の仙人」、青娥が「無理非道な仙人」。
神子と青娥は幻想郷に復活する以前からの旧来からの間柄であり、神子は『茨歌仙』でのエピソードを通して華扇と出会うなどいずれの「仙人」たちとも面識と縁をもっている。華扇については今日の幻想郷の仙人として、本人と出会う以前からその情報を聞き及んでいた様子も描かれている。
『茨歌仙』に限らず東方Project全般としては上記三者以外の「仙人」としては物部布都があるが、布都については『茨歌仙』第三十八話時点では個別の二つ名を伴っての登場などは見られていない。