ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

犬童頼安

いんどうよりやす

犬童頼安は、戦国時代から江戸時代初期にかけて実在した、九州の武将。
目次 [非表示]

概要編集

(1521~1606)

1521年、相良氏家臣・犬童重安の子として肥後国に誕生。幼名は熊徳丸。


経歴編集

10歳の頃、相良氏の内紛で家族を殺され、助命・出家させられる。

その後「伝心」と名乗り、1545年、復讐目的で相良家の本家と戦うが敗北して逃亡し、その後は各地を修行して回った。


1556年、赦免されて相良氏の家臣として上村地頭となり、軍功を立てて1577年3月、水俣城主になる。1581年に島津氏が水俣城に侵攻した際は籠城して戦った。

相良氏が島津氏に降伏し、主君・相良義陽が戦死すると、相良頼房を補佐し主家の存続に尽力、島津氏の豊後国攻めにも参加し、豊臣政権下で相良氏が再び独立を果たした際にも奉行として嫡子・頼兄と共に活躍した。


1606年死亡。病死と言われている。


関連イラスト編集



別名・表記ゆれ編集

犬童伝心


関連タグ編集

九州勢

戦国時代

戦国武将


この記事のカテゴリ編集

キャラクター・人名

歴史

関連記事

親記事

武将 ぶしょう

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 203

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました