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犬童頼安

いんどうよりやす

犬童頼安は、戦国時代から江戸時代初期にかけて実在した、九州の武将。
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概要編集

(1521~1606)

1521年、相良氏家臣・犬童重安の子として肥後国に誕生。幼名は熊徳丸。


経歴編集

10歳の頃、相良氏の内紛で家族を殺され、助命・出家させられる。

その後「伝心」と名乗り、1545年、復讐目的で相良家の本家と戦うが敗北して逃亡し、その後は各地を修行して回った。


1556年、赦免されて相良氏の家臣として上村地頭となり、軍功を立てて1577年3月、水俣城主になる。1581年に島津氏が水俣城に侵攻した際は籠城して戦った。

相良氏が島津氏に降伏し、主君・相良義陽が戦死すると、相良頼房を補佐し主家の存続に尽力、島津氏の豊後国攻めにも参加し、豊臣政権下で相良氏が再び独立を果たした際にも奉行として嫡子・頼兄と共に活躍した。


1606年死亡。病死と言われている。


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犬童伝心


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相良氏


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