概要
文字通り「現代の戦争」を指すわけだが、戦争史における「現代」は一般の感覚よりも幅広く、鉄道と電信が導入された「クリミア戦争」を区切りとしてそれ以降の戦争形態を指すことが多い。
(より広義の解釈としては、歴史用語において「近世」に区分される16世紀か、更にそれ以前の戦争も包含する見解もある。人間のやることはそれだけ変わってないということか)
現代戦とそれ以前の戦争の大きな差は、鉄道をはじめとする地上輸送手段の充実、電信による通信速度の増大、そして国民意識の醸成による士気の向上である。
人馬の乏しい輸送力による展開能力の限界が鉄道により払拭され、人間の声量に限られていた指揮の縛りが無くなり、そして国民意識の高まりにより兵卒が自らの意思で積極的に行動するようになったためより複雑な戦術が遂行可能になった。
ボトルネックの解消により、国はあらゆる物資を生産したそばから即座に戦地に輸送し、また国中の成年男子を招集して一個の軍隊として運用することになる。
そして生産力=戦闘力の図式が完成したことにより、「戦闘力を正面から潰すよりも生産力を叩いたほうが早い」という発想が生まれ、後方の工場や市街地などを攻撃することで間接的に戦闘力を破壊しようと目論む戦略攻撃の発想が生まれる。
そして軍需と民需、戦地と後方、戦闘員と非戦闘員の境界線が曖昧になり、国家がその国力の大部分を投じて多次元的に殴り合う総力戦が発生する。
冷戦中は大国同士が牽制し合ったことにより国家の直接対決は下火になり、代わりに内政干渉を目的に他国の非政府武装組織を支援したことで始まる非対称戦が多発、また無分別な干渉の結果民兵組織に武器が供給されてしまい対テロ戦争が泥沼化、以降の戦争の形態は基本的に非対称戦が主になるであろうという見方もあったが、中国の台頭やロシアによるウクライナ侵攻により世界は総力戦の時代に回帰しつつある。
特徴
陸上移動手段の増加
上述した鉄道や自動車の普及により陸上輸送力が大幅に強化、大量の物資を高速で移動させられる様になったため、軍隊の行動範囲と速度が著しく増大した。
大量の鉄量を前線に供給できることになったため、大砲や機関銃が間断なく弾幕を展開するようになり、前線における死傷者数が増加する。
弾片が常に最前線を飛び交うため、兵士らは生存するために全高の低減を心がけるようになる。これまで戦場の花形であった騎兵は過剰な全高により前線進出が自殺行為となり、偵察や伝令などの補助的任務を担う二線級戦力に格下げされた。
通信能力の向上
電信の導入により上級司令部が迅速に末端の情報を得る事が可能となったため、一部署で取り扱える人員の規模が大幅に増加し、上述した輸送力の強化も相まって作戦の規模が拡大するようになる。
一方でこれは軍隊に進化だけをもたらしたわけでもない。
上級司令部と末端が直接的に情報を授受できるようになったことにより中間階級が権限を奪われることが頻発、これまで現場で裁かれていた些末な案件がいちいち上級司令部にまで持ち上げられることで司令部の処理能力を超えてしまい、混乱を来して広範囲の指揮統制が一挙に崩壊するという事案が散見されるようになった。
無線通信やデータリンクの普及により伝達される情報量は日夜増大し続けているが、最終的な決定権を握る人間の脳の構造は変わっていないため、処理能力の問題は軍隊のテーマであり続けている。
国民意識の向上
18世紀末からの市民革命の流行により、国家運営の主体が貴族から民衆に移行する。
これに伴いこれまで貴族から一方的に搾取される立場であった民衆に愛国心が芽生え、より積極的に国家のために資することを望むようになった。
この結果軍全体の兵員の士気が大きく向上し、督戦の必要性が大きく減ったことにより末端の兵卒の権限が向上、これまで一斉射撃のための区分でしかなかった小隊や分隊が戦闘単位としての意味を持つようになり、更には最小で2名からなる班が導入された。
市街戦・森林戦
これまでの中隊を最小とする運用の場合、最小で百名、最大で数百名程度の人員を一人の中隊長の目の届く範囲に置く必要があり、必然的に軍隊の行動範囲は視野の開けた平野に限られてきた。
しかしながら部隊をより細分化出来るようになったことで、中隊長の視野の外まで兵員を展開することが可能となり、視界の通らない市街や森林での軍事行動が可能となる。
視界の通りが悪ければ弾の通りも悪くなり、爆発的に増大した火力から身を守るために守勢の部隊がそうした地形に立てこもり、すると攻勢の部隊は突入して相当する必要に迫られる。
こうして発生する市街戦・森林戦は、旧来の平野での行動を前提とした戦術が通用しないため、国によって独自の戦法が研究されており、兵員一人ひとりの射撃姿勢に至るまで研究が進められている。
ゲリラ戦
民衆が積極的に戦意を示すようになったのは上述したが、向上した戦意を正規軍が予算や教育リソースの限界で受け入れきれない場合や、各人の思想が正規軍=政府の方向性と著しく食い違う場合には、民衆が独自に軍事組織を結成する場合がある。
単純な戦闘力としては正規軍人とは比べるべくもないものの、組織の都合を優先して遠方に派遣される正規軍人と異なり、生まれ育った町や村を主な作戦圏とする民兵は環境への高い耐性や地形への深い理解がある。
寒冷な山岳地帯や高温多湿なジャングルなどの過酷な気候条件では、現地の気候に慣れ親しんだ民兵は、慣れない環境に疲弊する正規軍人を体力面で圧倒する場合があり、また地図には記されない地理条件や小さな迂回路を活用することにより正規軍の裏を掻いた行動が可能になる。
こうした民兵の特性を生かした戦術がゲリラ戦である。敵軍の気配を察知するや、付近に潜伏・居住する民兵が三々五々と集結し、一定の被害を与えると敵軍が体制を立て直す前に蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまう。
これを繰り返すことにより敵軍は物理的な損失のみならず心理的な損耗も重なり、能力を発揮できなくなる。
民兵の行動基盤は民衆の生活基盤と密接しているため(何しろ民兵らも民衆の一員なので)、民兵の基盤を制圧すると民衆の生活を巻き添えにすることが避けられない。すると民衆の反感が高まって民兵への志願者が増加するという悪循環が発生してしまう。
一度始まってしまったゲリラ戦を力技で妥当することはほとんど不可能に近い。