概要
生き人形とは、漫画「シャドーハウス」の登場人物。
主人公エミリコら、お影様(シャドー一族)に仕えるために作られた使用人達を指す言葉である。
「偉大なるおじい様」によって命を吹き込まれた生きた人形で、容姿は人間にそっくり。少年少女くらいの者から少し年上の者まで様々な生き人形たちが存在する。
また、性能差があるのか、学力や体力、性格といったスペックにもそれぞれ差がある。
シャドーハウスでは、お影様一人につき一体の生き人形が配されるルールとなっている。
背格好は主人になるシャドーと髪型まで含めて完全に同一、さらに性別まで同一になるよう設計されており、お影様の成長に従って彼らも成長する。
これは、後述する「顔」の役割が存在するからではないかと考えられている。
シャドー家における生き人形の立場は「お影様の所有物」。
お影様は生き人形を好きなように使役できるが、生き人形が失態をした場合はお影様もその責を負うことになる。
また、人形とは言えども生きている彼らをうっかり死なせてしまったお影様は「シャドー家の資格なし」とみなされ、それがもとで「処分」(具体的に何をされるかは不明)されてしまう事もあり得るらしい。
生き人形の仕事
生き人形は、ご主人様の身の回りの世話から館の清掃まで様々な雑務をこなすが、ひとつだけ特殊な仕事がある。
それが「顔」。
主人の感情を察知し、文脈や振る舞いに合わせて同じ動きをしつつ主の感情を表情で表現する……それが生き人形の一番大切な役目なのである。
顔のないシャドーに仕える生き人形にとってこれは最も重要な仕事であり、成人の儀である「お披露目」では、これが十分にできているかを審査される。
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※以降、ネタバレ注意
「立派な生き人形になれよ…村の子供達」
彼らの正体は、シャドーハウスのある領地にある村の子供達…即ち人間そのものである。
シャドーハウスの周辺にある幾つかの村から献上、貴族に扮した大人シャドーによって選別された者がすす入り珈琲による"儀式"により洗脳されて館に連れてこられ、そこで擬態生物モーフによる擬態が適う一定期間を経た後に、生き人形として館で働く事になる。
生き人形とシャドーが異様に似た容姿・体格をしていたのは生き人形が主人のシャドーに似せてデザインされていたわけではなく、逆に擬態生物モーフ=シャドーが生き人形に擬態していたためである。
人間であった頃の記憶は珈琲を飲まされた後で塗り潰されてしまい、生き人形としての新たな自我や名前をもって主人に仕えるように刷り込まれる。但し、珈琲の洗脳に持続性が無い為に定期的にすす入りの珈琲を労働の褒美として与えられる習慣が設けられている(喜びの会)。
モーフが擬態したシャドーの性格は、生き人形になる前のこども達の人格の一部が反映されている傾向がある。また、シャドーの名前もこども達の本来の名前である(逆に生き人形の名前は本来の名前の略称や愛称がつけられている)可能性が高いとされている。
エミリコは勿論、こども達は過剰な労働で身体が上手に動かない事を人形としての身体にガタがきているようなものと考えているようだが、当然これは人間の身体ゆえに疲労が蓄積されているのが原因。怪我をすれば血も出るし、軽傷で済めば自然治癒もするのだが、初めから彼らを「人形」として認識している一部のこどもシャドーには不思議に映るらしい。
後のシャドーと生き人形の末路からして、一度館に入ってしまえばこども達は元の村に戻る事も叶わないのだが、ハウス周辺の村人達も「シャドー家に仕える事は裕福な生活を保証される事」と考えているため、こども達が館から帰ってくる様子が無い事に不信感を持つ事が無いようである。
連れて来られるこども達の年代は10代前半が多く、館に選ばれる基準として一定の体力や知力、外見の良さや健康状態が重要視される。
館に「補充」される人数は多くは無いようで、館に入れてもその先の「お披露目」でさらに絞られていく為、大人シャドーがこども達をその都度選別に行くのは持ち回りで定期的に行っている。
こども達を献上した村には、上質なエネルギー源として重宝されている「すす炭」を提供している為、シャドーハウスと村民のやりとりは(恐ろしいくらいに)円満。村人達は平穏に生活しているが、将来を期待して送り出したこども達が裕福どころか過酷な労働の果てにその存在自体を奪われ続けているなどとは、この館のシステムでは露どころかすす程度にも気づかないだろう…。