白元(はくげん)とはかつて日本に存在した日用品メーカーで、現在はアースの子会社となり白元アースとなっているが、一般的にはまだ、白元というブランド名で通ったりしている上に白元時代からのヒット商品が多いので、本記事は元社名で解説する。
概要
前身は鎌田商会という日用品メーカーであり、自社経営によって防虫剤や防臭剤を開発していた。白元という名前に変わったのは1972年で、『ソックタッチ』の一大ヒットにより改称を行う。なお白元とは1953年に発売した蛍光染料「白元」が主力商品で世間の知名度も高かったことと白元の響きが良かったことから、それを企業名とした。
パラゾール、ソックタッチ、ノンスメル、ホッカイロ、ミセスロイド、アイスノンなどのヒット商品を次々に飛ばし、また地方の中小企業の買収にも積極的で、入浴剤やマスクなどの衛生用品事業、更に大正製薬からワイパアブランドの商標貸与を受け、殺虫剤事業なども手掛けた。
しかし、2014年に民事再生法を適用、7月31日にアース製薬がスポンサーとなって、旧白元は解体、白元アースが設立された。本社は創業地の台東区東上野にもあるが、近年になって足立区にも新本社が設立された。
白元アースでは使い捨てカイロ、殺虫剤、コットン製品は全面撤退(マスクだけは自社で開発を続けている)、代わりに入浴剤が主力となっている(製造元及び西日本での拠点が和歌山県和歌山市になっているのも、キング化学という業界4位の薬品会社がかつて存在し、そこが白元と業務提携し、入浴剤を共同開発していたため)。実はアースの『温泡』も、元々はここのOEMだった(製法と成分は同じ)。
経営破綻原因
原因は丸川珠代との浮名もあった四代目鎌田社長の放漫経営にあるといわれているが、その間でもレンジでゆたぽん、ゴキパオワイパア、ぬる虫よけなどのヒット商品は存在し、また企業買収、気象統計による需要予測なども積極的に行っていた。本質的な問題はドラッグストア、ホームセンターなどでの日用品のディスカウント販売が一般化したことによる価格破壊と競争激化、更に地球温暖化などによる気候変化、都市環境の変化に伴う防虫剤の販売低迷など季節商品の売上が不安定になったこと、また不採算事業の放置、それにもかかわらず押し込み営業(棚は確保できても収益に還元されない)を慢性的に行っていたことによる過剰在庫の累積である。
また、競合他社の筆頭であるエステーは価格破壊の著しい防虫剤より、より収益性の高い消臭剤、芳香剤に注力し成長を続けたのに対し、白元はニッチ需要のものが多く、企業の屋台骨となりうる主力商品に欠いていたのも後の経営不振の引き金となった。なお、エステーも白元のことは他人事ではなく、同社も00年代以降の白元と同じ過去を持ち90年代後半はヒット商品に恵まれず倒産危機にあった。しかし、00年代に招聘された敏腕社長によって不採算商品を一掃(500近い品目を70ほどに絞った)、さらに脱臭炭、消臭力などの高機能商品を続々ヒットさせ急回復、急成長を遂げることになる。
白元が一族経営じゃなく血の入れ替えを行っていたら、また違った未来が見えていた可能性もあったのだ。
主な商品
聞いたことがある商品ばかりだろうが、実は白元が作っていたのかというものが多い(これは白元があまり、小林製薬やアースのように自社CMに企業名を出さなかったからである)。
パラゾール
洋服箪笥用の防虫剤で、白い袋に入った丸いアレ。1958年発売。パラジクロルベンゼン使用で、ウールマーク認定を受けたことで大きくシェアを伸ばした。ニオイが残りやすく昔、毛糸のセーターが薬臭かった原因でもある。なお、鎌田商会時代はパラゾールのイメージが先行しており、パラゾール鎌田商会という企業名を名乗っていたほどだった。しかし、後述のソックタッチがヒットした際にパラゾールのイメージが付き纏うと困るので、白元にしたという逸話がある。
ノンスメル
1963年に発売された冷蔵庫用の脱臭剤。これも大ヒット商品となり、海外製のキムコ(後に小林製薬が販売)とシェアを分け合った。ノンスメルは後に、キムコともどもエステーの脱臭炭にシェアを奪われてしまうが、ルーム用消臭剤の清水香(せいすいか)など冷蔵庫にとらわれない消臭剤ブランドとなる。
ホッカイロ(現在は興和)
1979年に発売。不織布に入った使い捨てカイロはホカロンが最初だが、当時はけっこう高価だった。それが一枚100円というコストダウンに成功し大ット商品に、そして使い捨てカイロの代名詞とまでなった(今でもホッカイロを使い捨てカイロの総称と勘違いしている人が多いが、あくまで白元の登録商標である)。名前の由来は創業者鎌田泉の出身地が北海道であったことから(北海道+カイロ)、またホット+カイロの略称というダブルミーニングでもある。白元アースになる前に興和に売却している(アースが欲しかったのはむしろ入浴剤事業、特に固形入浴剤製造技術の方だった)ので、白元アースとして販売実績はない。
アイスノン
不凍ゲル状の保冷枕で1965年に発売。大ヒット商品となり保冷枕の代名詞とまでなった。後に小林製薬が薄型化した熱さまシート、ライオンが冷えピタを開発すると、アイスノンも薄型タイプを作るようになるが、前者二つが気化熱による冷感なのに対し、こっちは冷やせばそれなりに冷たさが持続する(あくまで鎮痛目的であり、いずれも解熱に効果的というアイテムではない)。
ミセスロイド
1988年、エステー化学(現エステー)の『ムシューダ』に追随するように発売されたピレスロイド系防虫剤で、世界で初めて防虫剤商品においてウールマーク指定を受ける。後に山田邦子主演CMで一気に知名度を上げ(やまだかつてないテレビ、クイズ年の差なんてのメインスポンサーが白元だった)、「ミセス↓ロー↑イー↑ドー↑」のサウンドロゴも定番化し主演は変わってもずっと使われ続けている。名前の由来は防虫成分のピレスロイドとロイド夫人から。他の競合品には金鳥の『タンスにゴンゴン』、アースのピレパラアースなど。
わらべ
人形用防虫剤。無臭成分のピレスロイド使用。防虫剤との違いは防カビ成分も含まれていること。エステーや金鳥が防虫剤ブランドを使っているのに対し、白元だけは昔から『わらべ』である(ミセスロイドシリーズではない)。
ドライ&ドライ
家庭用除湿剤。1982年に販売。シェアはエステーのドライペットに次ぐ2位で、水漏れしないように工夫された商品として根強い人気商品となった。元々はドライアンドライって商品で、当時は&(アンド)という言葉を入れるのが流行った名残。ほかの競合品にオカモトの『水とりぞうさん』、フマキラーの『激乾』など。
ソックタッチ
1972年に発売された靴下止め。当時はハマトラ(横浜トラディショナル)ファッションブームに合わせハイソックス用に売上を伸ばし年間1000万本を売り出す大ヒット商品となり、鎌田商会が白元に改称するきっかけにもなった。後に隙間需要商品となるが、ルーズソックスが普及した頃に靴下止めとして売れ始め、また年間800万本を売ることになる。それにしたがい、それまでの無粋なデザインから女子高生を意識したカワイイ系にデザインが変わった。今はブームも落ち着き、青と赤のニ種類のシンプルなデザインとなっている。
レンジでゆたぽん
電子レンジで温めるタイプの湯たんぽで、電子レンジカイロの草分け的存在。後に他社が色々作ったが、液体を使ったことにより消費者側の誤った使用(レンジの温度や保温時間を間違えた)や劣化による破損、火傷事故が相次ぎリコール対象→製造中止となった。だが、同社製品はゲル化剤を使っていたことで、その被害も少なく廃盤危機を脱した。現在は安全対策で二重カバーとなっているので、片方が破れても火傷しなくて済むようになっている(ただし、その場合は絶対に廃棄すること)。使い捨てカイロと違い、就寝時に使える、また夏場の冷え性対策にもいいなどの理由で、息の長い人気商品となっている。芸能人のゆたぽんとは無関係で、名前の由来は湯たんぽと「ぽん」という軽い響きとレンジでポンと押すだけという利便性から。
いい湯旅立ち
詳細は該当記事を参照。白元アースになってからの主力商品だが、実はキング化学時代から存在する地味な商品(当時はにごり湯じゃなくて、低価格帯の温泉気分固形入浴剤)だった。名前の元ネタはいい湯だなといい日旅立ちで、旅館や温泉にちなんだヒット曲にあやかって一般的に知られるヒット商品になりたいという思いがあったとかなかったとか。
HERSバスラボ
詳細は該当記事を参照。キング化学の主力ブランド「バスキング」をそのまま一般消費者向けに一新した商品。黎明期の『うるおいボール』はおのののかによるCMなども打たれた。秋冬の需要を見込んだ『いい湯旅立ち』に対し、春夏の需要を見込んだ炭酸成分固形入浴剤で、定番のフレグランスが多いアース『温泡』に対し、フルーツ、ハーブやアロマ成分などに絞り、スキンケアに特化している。
ゴキパオワイパア(廃盤)
シェービングフォームにヒントを得た商品で害虫にぶっかけて窒息させる殺虫剤。ゴキブリの姿を見ずにしてゴキブリを仕留めることができる、しかも殺虫成分を使っていない商品として一時は品薄になるほどの人気商品となった。しかし、エアゾール式のスプレーと違って射程距離が短いため敵に命中しないことが問題になり、それどころか部屋がベタベタになってしまうので次第に敬遠され、数年で廃盤となった。ある意味、低迷期の白元を象徴する商品ともいえる。名前の由来のパオとは中国語で包むという意味(小籠包とか)。
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