巨人学園高校→東北楽天ゴールデンイーグルス→京都ウォーリアーズ所属。
10歳の時に実父を亡くし、その後丹波左文字に育てられる。
高校まで野球とは無縁の生活を富士山麓で送っていたが、巨人学園の名にふさわしい「巨(おお)きな少年」を捜し求めていた理事長から見出され入学。「野球」そのものを全く知らぬまま野球部に入り、試合中に野球を学んでいく。オカマが苦手。
初出場した夏の甲子園初戦にて南波高校の藤村兄弟と対戦、完封勝利寸前まで追い詰めるも惜敗。
3年夏の甲子園での明訓高校との対戦では、チーム全員が明訓ナインになりきる作戦をとった。一球自身は里中になりきり、投手として試合に臨んで明訓打線を1点に抑えたものの、岩鬼の好走塁によってサヨナラ負けを喫した。
その後、巨人学園の監督を務める。
2005年、呉九郎と共に東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト8位で入団。開幕戦のスーパースターズ戦でいきなり「四番・投手」で先発し、楽天の初先発投手となる。初回岩鬼に先頭打者本塁打、6回には山田に同点3ランを被弾するも、2本塁打を放つなど忍者の末裔としての能力で投打に活躍。9回には160キロのストレートで山田を空振り三振に仕留め、8回2/3を4失点にまとめる。後続の土井垣将を岩隈久志が空振り三振に打ち取り、球団初勝利及び自身のプロ初勝利を掴み取った。
野村克也監督により、捕手としての素質を見出され2007年のスーパースターズ戦では、田中将大とバッテリーを組んだ。この試合では2本塁打を放ち、田中の勝利を呼び込んだ。
2009年のスーパースターズとの開幕戦では、1番・捕手として出場した。
その後、再び投手中心の起用となる。星野仙一が監督に就任した2011年、対スーパースターズとの開幕戦で先発し、九郎とバッテリーを組む。
2012年、九郎と共に京都ウォーリアーズに移籍。星野監督の友情トレードとのこと。