石勒
せきろく
中国で「胡」と呼ばれた異民族の一つ「羯」の出身。羯族には姓という習慣がなかったので、もともとの名前は「㔨(べい)」と言った。羯の中では、小勢ながら兵を率いる武将の家柄だったとされるが、羯族はこの時代、困窮しており、㔨も家族と散り散りになっていた。
㔨はやむなく、知人の漢人と組んで、他の胡人を捕らえて漢人に奴隷として売る商売をしていたという。しかし、ある時に自身も奴隷として捕らえられしまう。だが、運良く㔨を買った漢人は、㔨を大物とみなして自由の身とした。自由となった㔨は、この時の主人に共に仕えていた汲桑という漢人に、石という姓を貰い、名も勒と改めた。字の「世龍」も、おそらくこの時に付いたものと思われる。
この時代、中華の地を治めていたのは晋であったが、晋は後に国が崩壊する八王の乱の真っ最中だった。石勒は、王の一人司馬穎の軍に入り、汲桑の部下として活動した。しかし、司馬穎は敵対する司馬越に捕らえられて処刑され、司馬穎の仇を討つという名目で軍を起こした汲桑もまた戦死した。
石勒は、その後、同じく司馬穎に仕えていた匈奴の劉淵の配下となり、劉淵が築いた漢(後の前趙)の武将となった。一方、石勒自身の勢力もかなりのものがあったらしい。晋は、石勒を劉淵の配下ではなく、独立した勢力とみなしていたらしく、劉淵とは別の使者をわざわざ送るなどしている。
劉淵が死去し、その子の劉聡も死去した後、石勒は明白に後趙と対立するようになり、新たに「趙」を建てた。劉淵の建てた趙と同名のため、劉淵の趙は「前趙」、石勒の建てた趙は「後趙」と呼ばれるようになる。
前趙と戦い、その領土を自らの領地に組み入れながら、建国から4年後に石勒は死去した。
荒々しい人物であり、敵対したものは漢人であろうと胡人であろうと容赦をしなかった。一方で、自身に恩を与えた人物は、漢人、胡人の区別なく礼を尽くしたという。
石勒は、文字を読めなかったが学問好きであり、部下に様々な本を読ませて、勉学に励んだ。その結果、文盲でありながら史書や儒に通じ、儒者たちと議論をするのを好んだ。
「胡」という字は差別的な要素があるため、この使用を禁じ、代わりに「国」の字に置き換えるように部下に命じた。
仏教を厚く信仰しており、この時代の中国に、仏教が伝播することに貢献した。
前述通り、家族が散り散りとなり、また奴隷に身をやつした事すらあるため、家族が少なかった。このことから、たとえ異姓であっても、養子として自身の一族とすることをしていた。これは当時の中国からすると常識から外れた行為であった。
このためか、子を除くとほぼ唯一、血が繋がった親族と言える石虎を特に重用していた。しかし、石勒より遥かに荒々しい性格を持つ石虎は、石勒の死後、石勒の子である石弘を殺す事となる。
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シリーズ2作目です。 主人公にとって大きな影響を与える人物、石勒の登場です。 本作品の独自要素として、冉良の同僚として李農が登場します。彼の字は不明ですが、こちらで作成しました。斉菟という字は、斉は李農が斉王についたことから、菟は李農の別名、李菟からです。 今回は石勒軍の得体知れない雰囲気を出したつもりですが、出てるかどうかですね。 終わりが見えているため、そこに至るまでに何を盛り込むか、色々と考えています。盛り込みたいのは山々ですが、焦点がぼやけないように取捨選択はしっかりやっていきたいです。2,930文字pixiv小説作品