紅夜叉
べにやしゃまたはくれないやしゃ
本名:椿 留美(つばき るみ)、旧姓・旧リングネーム:安田 留美(やすだ るみ)。
幼少期はプロレスが大嫌いであったが、テリー・ファンクの試合をたまたま見てプロレスが好きに。
高校1年で中退、上京してジャパン女子プロレスの練習生となり、蕎麦屋でアルバイトしながら1人暮らしを行った。
1989年12月1日、後楽園ホール大会での対北村真美戦でデビュー。同期にキャロル美鳥、GAMI(現:『プロレスリングWAVE』及び『OSAKA女子プロレス』運営会社「ZABUN」代表取締役会長)、コマンド・ボリショイ(現:『PURE-J女子プロレス』運営会社の「株式会社PURE DREAM」代表取締役社長)、福岡晶ら。
1990年2月11日に行われた新人王トーナメント決勝で福岡を破り優勝するが、その後ジャパン女子4期生ほぼ全員で練習をボイコットし、そのまま退団、引退。
父の仕事を手伝うようになったが、中学時代からの夢であったプロレスを投げ出したことがきっかけで精神疾患を発症。摂食障害も経験。
そんな状態の中の1992年、LLPW旗揚げの連絡を風間ルミから聞き、それから復帰までの間に無理やり体を動かし、精神疾患を克服に参加して現役復帰し旗揚げに参加。
1993年2月13日、後楽園ホール大会にてリングネームを本名から紅夜叉に改名、木刀を片手に赤い特攻服を着たレディース(女性暴走族)のギミックで人気が出る。
同年6月、全日本女子プロレス・後楽園ホール大会で北斗晶と対戦、2分17秒で破れたがこの試合でブレイクする。
1999年7月20日、引退。引退試合の対戦相手は神取忍。
引退翌年の2000年3月に結婚、同年7月に静岡県三島市内に居酒屋『なごみ亭』をオープン。その傍らで2020年よりYouTubeチャンネルを開始する。
外部リンク
紅夜叉TV【公式】・・・YouTube