概要
敵と自分を取り囲む様にギロチン台が立ち並ぶ領域で、これまで登場した領域のように掌印を結ぶのではなく、日車がガベルを打ち鳴らすことで発動する。
領域に宿る術式効果は、「刑事裁判を簡易的に再現し、その判決によって対象に罰(ペナルティ)を科す」というもの。
領域内では 暴力行為が一切禁止され(ただし言葉の暴力を除く)、日車の式神「ジャッジマン」を裁判官として下記の流れで擬似的な裁判を行う。
術式名称のうち「誅伏」とは「罪を責めて服従させること」を意味する。名称全体の意味としては「罪を責めて認めさせることで死を賜る」と言ったところか。尤も、後述の通りこの領域自体には敵を直接死に追いやる効果(いわゆる「必殺」効果)は無い。
- ①式神「ジャッジマン」は、領域内の者の全てを知っている。その中から相手の今まで犯して来た罪状のひとつを両者に提示(あくまでこの罪状は候補であり、実際には無罪となるべき罪状である場合もある)。その罪にかかわる『証拠』(この内容のみ日車は提出された時点で把握)が日車に提出される。
- ②罪状について相手が陳述。「黙秘」、「自白」、虚偽陳述を含む「否認」のうちからいずれかを行う。「自白」により罪を認めた場合は、③の日車の反論はスキップされて④に移行する。
- ③その後、公表された証拠を踏まえて日車が反論を行う。ガベルを打ち鳴らすことで④に移行。
- ④「ジャッジマン」が2人の主張と六法に基づいて判決を下し、「有罪」となればその内容に応じて相手にペナルティが科せられる。
(例…未成年でありながらパチンコ店に客として入店した虎杖悠仁は建造物侵入罪で有罪判決を下される。その結果、『没収』を受け呪力の発動を制限されてしまった)
- ⑤相手は罪を認めない限り、2回まで裁判のやり直しを請求できる。この請求は日車にも「ジャッジマン」にも拒否できず、請求された時点で領域を解除していても自動的に再び展開される。だが、裁判の内容は前回の罪状について再び争うのではなく、全く別の罪状が裁かれることになる。やり直しの回数が2回なのは、現実の裁判でも控訴・上告の2回のやり直しが可能なことに準えているためだろう。
『有罪』の結果課されるペナルティのひとつ『没収』は「一時的な術式の使用不可」であり、術式を持たない相手に対しては呪力の制限に変わる。裁判対象が呪具を携帯している場合は、呪具が没収される。また術式と呪具の双方を持っている場合は呪具が優先して没収される。(実際の法廷でも凶器は持ち込めないという点を反映しているのだろう)
(日車本人は相手の術式の有無による罰の変化までは把握できず、戦闘の状況から推察している。ちなみに『没収』をくらった術師は勘が鈍ることで基礎的な呪力操作にも支障をきたす模様)
さらに、『没収』より重いペナルティとして『死刑』があり、『没収』が課されたうえで日車の持つガベルが「処刑人の剣」に変化する。作中では「斬られた者は例外なく必ず死に至る」と説明されており、『没収』と合わせて日車に非常に有利な状況が生まれる。
『証拠』は防犯カメラの写真など、現実の裁判に則した形で提出されるが必ずしも罪を確定する物ではなく、むしろ重要なのは罪状に対する主張の方。
虎杖のパチンコ店入店の場合は、争点が「マジベガスというパチンコ店に客として入店したかどうか」であり、証拠が「入店したとされる同日に古物商(換金所)で換金しているところの写真」だったため、「そんな店は知らない」と主張すればマジベガスに客として入店したことは証明できず無罪になっている。
通常の裁判であれば、「いやマジベガス以外には入ってるんだろ、どのパチンコ店だって未成年入店禁止だぞ」と結局有罪になったり、再調査が行われるなどして「あの換金所はマジベガスしか使っていない」と判明すれば有罪となるが、"弁論は一度"なので被告を否定しきれなかった時点で関係がない(尤も未成年のパチンコ店への入店、プレイ程度で本当に刑罰を受けることはまずないが)。
下手な陳述は命取りだが、反論する日車は現役の弁護士であり、法律に詳しくなければ圧倒的に不利である。
虎杖もうっかり「トイレを借りに入っただけ」と入ったことは認めてしまったため、前述の証拠と併せて「入ったことを認めており、この証拠がある以上トイレ云々に信憑性はない」として有罪にされている。
現在の領域に見られる「必中必殺」のうち、「必殺」の部分を省いた「必中」のみの古代の領域展開に近い領域である、と虎杖は予想していた。しかし、実際には領域がデフォルトで備わった領域展開ありきの生得術式。
術式そのもので攻撃できないことから『必中』効果のみ・術式自体が殺傷力を持たない・ルールの説明の3つの縛りで成り立っているとも予想できる。
欠点
日車の弁護士としての技量もあって高確率で相手にペナルティを付与できる強力な術式だが、作中では様々な要因から生まれた欠点も描写されている。
- ①ジャッジマンが取り上げる罪状がランダムである点
ジャッジマンはあくまで1つ1つの罪を取り上げて起訴する都合上、取り上げられるのが殺人罪等の重い罪だけとは限らず建造物侵入等の比較的軽い罪が取り上げられる可能性がある。そして後者の罪状ではどうしても『没収』までで『死刑』はまず取れない。
さらに、人を包丁で刺すなどして生じた傷害罪・殺人未遂などに付随して生じる「服が破れたことによる器物損壊罪」など、本来重い罪に吸収される細かい罪も取り上げられうる対象となるため、刑事裁判であれば間違いなく死刑であろう被告人(対戦相手)に対しても確実に『死刑』を取る方法が基本的にない。
作中では宿儺を被告人とする場合、宿儺の残虐行為が器物破損や建造物侵入という観点から起訴された場合『死刑』を取ることは難しいと指摘されている。
- ②ジャッジマンは六法に基づいて判決を下す点
前述の通り対戦相手と日車双方の主張の後に六法に基づいた判決が下されるが、六法(≒日本の法律)ではまず想定されない状況に対してジャッジマンがどのような判決を下すかは日車自身にも分からない。
作中ではかつて平安時代に生きた宿儺の千年前の罪は取り上げられる対象となるのか(時効か否か)について議論が交わされ、日車は「明治時代に導入された近代法には時効が存在する」「刑事訴訟法の改正以降は殺人の時効はない」「1985年以前の殺人には時効が成立している」「平安時代の法体系には時効がない」「犯人が国外にいる場合時効の進行は停止する」等の知識を持ちつつも、受肉する前(≒死んでいた期間)の宿儺の扱い(死後あの世にいた期間を国外にいたと判定されて時効が成立しない可能性)については明確な答えを出せなかった。
もっとも、「平安時代を生き、死亡に近い形で呪物と化して現代に蘇った人間」などというイレギュラーな存在と対峙することによって露見した欠点であり、多くの人間の呪術師を相手取る場合は欠点と呼ぶほどのデメリットにはならないと思われる。
日車はジャッジマン自体が自身の術式に備わっている式神である以上、自分(日車)が「あり得なくもない」と思っているならジャッジマンもそれに準じるだろうと考察している。
補足
この領域展開は刑事裁判の形式となっているものの、対戦相手(被告人)、証拠を踏まえて反論する日車(検察官)、判決を下すジャッジマン(判事)の三者だけで行われる。これは弁護士だけいない状態であり、刑事裁判としての形は破綻している。
また、被告人である対戦相手がペナルティを回避するには、提出された証拠が何か分からないまま百戦錬磨の法律家である日車からの反論を許さず、尚且つジャッジマンから無罪を勝ち取らないといけないという無理難題を押し付けられる状態となる。
よほど法律への知識や弁論能力に長けていなければ、領域に引きずり込まれた段階でほぼ事実上の有罪が確定してしまう。これでは対戦相手が不憫だが、日本の刑事裁判の有罪率99.9%のメタファーとも言えるものである。(国庫から無尽蔵に財と人的リソースを割いて面子をかけて押し切ってくる検察(日車)に対し、限られたリソースでなんとかしなければならない弁護士(被告人=対戦相手)という司法の不平等の表れという考察もある。ただ、日本では「確実に有罪とできる」と判断された場合しか起訴されないので、事件全体の4割しか起訴されていない)
ただし、虎杖は「これだけの能力なのだから術者にも不利な要素がある」と推測した上で第二審の存在に気づき、実際に第二審では虎杖が無罪を勝ち取ることは(弁論するだけなら)容易だったことから、もしかすると被告に有利な第二審を条件に入れるという縛りで第一審の検察に圧倒的に有利な裁判体系が成り立っているのかもしれない。
弁護士という職業に由来した術式及び領域展開ではあるが、日車自身は相手の陳述を証拠をもって反論するため検察官に近い立場(虎杖もそう発言)。司法修習生時代に裁判官への転向を打診されていた過去があり、弁護士や検察官よりも判事向きと思われていたようだ。