経歴
1984年12月22日生まれ、山形県出身。
地元・酒田南高等学校では2年夏と3年春の甲子園に出場。専修大学進学後は1年からレギュラーでプレーしていた。2006年オフのドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから大学生・社会人5巡目で指名され入団。
俊足巧打が持ち味の外野手で、即戦力として期待されたが怪我などでなかなか芽が出なかった。2009年突如覚醒。一時は4割を越える打率を記録し、年間通じてセンターのレギュラーを守り続け、打率.312(リーグ4位) 7本塁打 44打点 159安打を記録、ブレイクの年となった。
2011年は開幕した後、いまいち調子が上がらなかったがシーズンも後半に入ると調子が上向きになる。優勝した10月1日には3番内川・4番松田に続いて5番に入り、3打席目に先制タイムリーにつながる安打を放ち、この試合3安打を記録。またクライマックスシリーズでは11打数6安打打率.545と活躍し特別賞を受賞。
2013年はキャンプ中の打球直撃して頭蓋骨を陥没骨折するというアクシデントに見舞われたが、脅威の回復力で開幕に間にあった。途中から5番打者に入ると交流戦にてヒットを量産し、交流戦史上最高打率となる.418をマークし、交流戦MVPを受賞した。この年は最終的に全144試合フルイニング出場、打率.341、19本塁打、83打点、12盗塁、出塁率.392とキャリアハイの成績で首位打者と最多安打のタイトルを獲得、またベストナインを受賞した。
2015年以降は故障のため一軍出場機会が減少、その代わりに代打や指名打者としての起用が増え、「打撃職人」としてチームを支えた。2021年に現役を退き、2022年からは藤本博史監督の元で1軍打撃コーチに就任。