概要
露土関係(ろとかんけい、ロシア語:Российско-турецкие отношения、トルコ語:Rusya-Türkiye ilişkileri、英語:Russia–Turkey relations)は、ロシアとトルコの国際関係の事である。1492年8月にバヤズィト2世に送られた貿易に関するイヴァン3世のメッセージから数を数えるが、両国は周期的な国際関係にあり、経済協力は冷戦が終結して以来両国関係の特徴となっている。ロシアはトルコにとって必要不可欠な国であるという事実があり、ロシアとの友好関係を維持している。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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ロシア連邦 | 半大統領制 連邦共和国 | ウラジーミル・プーチン | 1712万5191平方キロメートル | 1億4718万2123人(2021年10月) |
トルコ | 大統領制 共和国 | レジェップ・タイイップ・エルドアン | 78万3356平方キロメートル | 8527万9553人(2022年12月) |
歴史
初期
1702年2月に外交関係を樹立し、同年4月にピョートル・アンドレーヴィチ・トルストイが最初の駐トルコ大使となった。両国は数世紀に渡って地政学的な敵対関係にあり続け、黒海地域・コーカサス・バルカン半島で勢力圏をめぐって絶えず交戦していた。過去に12回の交戦と複数回の外交関係の断絶を経験し、戦争についてはそのほとんどがロシアの勝利に終わった。1918年3月にブレスト=リトフスク条約が締結され、外交関係は法定で確立されたものの実施されなかった。
ソビエト連邦
1919年5月にトルコで独立戦争が発生すると、ソビエト・ロシアが国民運動を支援した事で両国関係は温かくなった。1945年12月にソ連はトルコに譲渡した領土の領有権を主張し、トルコに他の譲歩を要求した為、両国関係は再び悪化した。トルコは両国関係が最低の状況にあった冷戦時代は西側諸国に属し、1952年2月にNATOに加盟した。1953年3月にスターリンが死去した後、ソ連が領有権の主張を放棄した事で両国関係は改善し始めた。
1967年3月に技術・経済協力協定が締結され、この協定で提供された支援で産業施設が建設された。1978年6月にビュレント・エジェヴィト首相がソ連を訪問している最中に、両国が国際問題について意見を交換する事を規定する政治文書が署名された。1984年9月にトルコに対する天然ガスの供給に関する協定が締結され、1987年6月にソ連はトルコに天然ガスの供給を開始した。
ロシア連邦
1991年12月にソ連が崩壊した後は両国関係が大幅に改善され、両国は相互の最大の貿易相手国にランクされるようになった。ロシアはトルコ最大のエネルギー供給国となり、多くのトルコ企業がロシアで事業を開始し、トルコはロシア人観光客の海外旅行先のトップになった。しかし外交に関しては特にナゴルノ・カラバフ紛争、シリア内戦、リビア内戦、コソボ紛争などの緊迫した問題において両国は依然として対立しており、アルメニア人虐殺について反対の見解を持っている。
2015年11月にロシアの爆撃機が撃墜される事件が発生し、その後は両国関係が緊張する状況になった。2016年6月にエルドアン大統領が事件について謝罪し、両国関係が再び正常化された。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻し、トルコはこの侵攻に対する平和的な解決を積極的に仲介しようとしている。同年3月にロシアとウクライナの外相が、侵攻の後としては初めて会談を行った。しかし目に見える進展は無かったものの、どちらも交渉の継続に前向きな姿勢を示した。