概要
浪人として京都の儒学者・伊藤東涯の古義堂に入門して儒学を学習する。
江戸町奉行与力・加藤枝直とは仲がよく、1733年に加藤の推挙により大岡忠相に取り立てられ、幕府書物の閲覧を許される。
1732年に起きた享保の大飢饉は日本全土に被害をもたらす。しかし、薩摩(鹿児島県)では既に伝来していたサツマイモが定着していたので飢えから人々を守っていた。
昆陽は京都で学んでいた頃に書物によってサツマイモの重要性を知り、サツマイモを救荒食にすべきだと徳川吉宗に上書。
これが認められてサツマイモ試作地として下総国千葉群馬加村(現:千葉市花見川区幕張)、小石川薬園(小石川植物園)、上総国山辺郡不動堂村(千葉県山武郡九十九里町)が選定された。
1736年に身分が幕臣となり、1743年には幕府からサツマイモ栽培の奨励を行っている。
昆陽は後世「甘藷(サツマイモ)先生」とも呼ばれるようになった。
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関連作品
暴れん坊将軍:上述の歴史的事実に基づいたサツマイモ栽培奨励に関するエピソードが初期シリーズでしばしば放映された。