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これからもドリフのお荷物でいたい

────全員集合終了時の会見コメント。


人物編集

1933年3月8日生まれ。

本名・高木 友之助(たかぎ とものすけ)、ザ・ドリフターズの現在の最年長メンバー。

ブーという芸名はハナ肇によって当時のドリフメンバー全てに付けられたものの一つ。ハナ肇曰く芸名は水に関係していた方が縁起が良いということなのだが、高木ブーの場合は「豚はああ見えて綺麗好きなんだ。清潔さを保つためには水が必要だろ?」という、トンデモなこじつけで決まっている。

志村けんが参入するまではけっこう動いていたのだが、志村参入以降は逆に動かないことで存在感を得た人。ミュージシャンである為、ドリフの音楽性で揉めた事もあるとのこと。

彼の活躍は「8時だョ!全員集合」よりも、「ドリフ大爆笑」の方が多い。むしろこっちの方が一人をピックアップしたコントが多かったこともあり、その存在感が際立っている。


コント編集

「雷様」のコントをはじめ、「三人ジイさん」ではいかりや長介仲本工事を指揮し、「もしもシリーズ」ではセリフがないことがかえって笑いにつながっている。

また、主役となるコント「一円を笑う者は一円に泣く」では一円玉一枚にすら病的に執着する男を好演し、これはシリーズ化もされた。

出棺コントでは棺桶の中にいる高木に副葬品として色々なものを入れるのだが、どんどんエスカレートしてキワモノまで入れられるが一切表情を変えない所が笑いを誘っている(ただし、当時スポンサーであった大塚食品のボンカレーをコントの道具にしたことが原因で、大塚食品がスポンサーを降りてしまっている)。

演技力がないわけではなく、ドリフでの活動が一段落したあとは俳優出演もしている。また、台詞の多いコントやリアクションの多いものも多く、取り調べコントや居酒屋コントではすぐに子供のように泣きべそをかく取り調べの刑事や居酒屋の店主を演じて笑いを取っている。


「ドリフターズの上下関係の歴史を紐解く」という体裁のコントでは「出ない、喋らない、笑わせない」「無芸大食」と散々な言われようであるが、そのコント自体が自身の不祥事や上下関係の厳しさをネタにした内容であり、いかりや長介は「高木ブーを辞めさせようと思ったことは一度もない」と自著で語っている。


性格・私生活等編集

今でも、グループで地味な存在を指す代名詞になってしまっているほど。なお、こうなった理由は長文をおぼえるのが苦手だったため、セリフを短くせざるを得なかったからとの事。長く喋るネタは殆どアドリブで乗り切っていたらしい。


見た目と裏腹に「ドリフ」当時は短気で知られており、いかりやと最も喧嘩していたとされるのは高木である。

有名なものでは、高木がエビフライ弁当を食べようとしたところいかりやにエビフライを食べられたことに激怒し弁当を叩きつけた「エビフライ事件」がある。

いかりやも負けじと焼き肉の焼き方で喧嘩になるなど、いかりや存命中は「不仲説」が出るほどであった。


サザンオールスターズ関口和之などと並ぶウクレレ愛好家。

趣味でクレー射撃をやっているが、これは高木いわく「最初に始めたのは長さん(いかりや)で、周りのメンバーも巻き込んでやらせたくせに、メンバーが上達して自分より上手くなると真っ先にやめてしまった」とのこと。


肥満体型であったことから、高齢になって以降はしばしば体調を崩しているが、その度に復帰を果たしている。このため現在では往年の肥満体ではなく、ややふっくらしているとはいえ全盛期と比べればすっかり痩せている。肥満体期からは想像もできないが、高校時代はボクシングの経験もある。

いかりや、荒井亡き後はメンバー最年長となったが、世間の流行にはもっとも敏感であり、ネットでの活動も盛んである。

近年では加藤と仲本を呼んでニコニコ生放送でドリフ大爆笑のスペシャル再放送を鑑賞して実況する企画を行うなど、積極的にファンと交流している(ちなみにこの企画を支えてくれているのが娘さんである)。


さらにイザワオフィス公式YouTubeでウクレレの演奏動画(自宅撮影で撮影は娘さんが担当)で度々登場する、Instagramを開設しているなど昭和の大スターは令和の時代にテレビ出演だけではなくネット上でも幅広く活動している。


ドリフの中でもかなりの年配にあたるが、2024年現在ドリフでは加藤と共に数少ない存命メンバーであり、前年の2023年には90歳を迎えた。



愛妻家編集

とりわけ愛妻家として有名で、ドリフの中で唯一離婚歴・再婚歴がない(いかりや・仲本および旧メンバーの荒井はそれぞれ3回、加藤は2回の結婚歴がある。志村は正式な結婚歴こそ無いものの、数多くの女性と浮き名を流していた)。

夫人は3歳年下で、高木が28歳の時に結婚した。夫婦仲は極めて円満だったが、1994年3月25日に脳腫瘍のため58歳で死去。

生前に3度にわたる手術を受けたが、3回目の手術後は会話すらできない状態だったという残酷な別れであった。


高木は妻のあまりに理不尽な死を目のあたりにして半狂乱になり、それ以降はが信じられなくなった。その後も妻を「最高の伴侶」と公言し続けており、再婚の話も断っている。

以来、家族への情愛が強くなりすぎてしまい、自身の娘との結婚を望む相手には「自宅で同居してくれる人」という条件を出したという。これは言葉通り実現し、現在も娘家族と暮らしている。



メンバーの逝去について編集

よくいかりやには怒られていて、当時は不仲だと言われてきたが、2004年にいかりやが亡くなった際は「バカヤロー!」と葬儀場で泣いていたという。二人は年が近く趣味のことで大人気なく張り合うなどしていたが、もっとも年齢が近かったこともあってか戦友として他のメンバーと同じく愛憎入り乱れた関係にあったと思われる。


2020年に志村けんが急逝し、その追悼番組である「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」で久々のテレビ出演をし、番組終盤加藤茶の弔辞についてコメントを求められた際に、あまりに考えすぎて生放送であるにもかかわらず居眠りしたかのような無言を貫くと言う放送事故ギリギリのボケでお茶の間の大爆笑を取った。


だから志村は死なないの、ずっと生きてる

――『志村けん追悼番組』


その後、このコメントで視聴者に感動と笑いを届けた。

同年の「志村友達全員集合スペシャル」にも出演。ドリフ大爆笑のオープニングの再録では御歳87歳でありながら当時の紫色の衣装でダンスを踊り久々に加藤、仲本、志村けん(に扮した研ナオコ)いかりや長助(に扮したダチョウ倶楽部肥後)とコントを行い元気な姿を見せた。


雷様が僕一人になってしまいました

――『仲本工事追悼コメント』


関連タグ編集

筋肉少女帯 - 「元祖高木ブー伝説」という曲を発表している。本人公認。ドリフターズサイドの運営は憤ったが、高木は「若いモンが馬鹿やって頑張っているんだから許してあげようよ」と寛容な姿勢を魅せた。この事に筋肉少女帯は現在でも感謝の意を見せている。

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