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いや~、まいった、まいった

概要

本名:仲本興喜(なかもと こうき)

1941年7月5日生、東京都渋谷区出身

身長160cm

血液型A

経緯

ザ・ドリフターズのメンバー。

学生時代は文武両道の秀才で通っていたが、ジャズ喫茶に友達と遊びに行った時、ノリで歌えと言われて舞台に飛び入り参加。これを聞いたクレイジー・ウエストに気に入られてバンドメンバーとなる。ドラムは加藤茶だったという。その後はバンドの移籍などを経ながらも就職を考えていくようになる。

学習院大学を出ていたこともあり、元々は弁護士になろうと考えていたが、いかりや長介からドリフメンバーとして勧誘を受ける。

しかし当時はバンドマンと言えば不良の道という認識が強かった。おまけに苦労して有名大学に通わせてきた経緯もあり、両親は当然猛反対した。特に商売柄職人気質で頑固一徹だった父の説得はまず無理だろうと思い、いかりやにも難しいだろうと伝えていた。

しかしドリフ空中分解の危機に焦っていたいかりやは、自宅まで乗り込んで両親を説得し、なんとかギタリストとして仲本をメンバーに引き込んだ仲本はこの時のことを「あの顔で言われたら親父も承諾せざるを得ない」と冗談めかしている。

兎にも角にもこれが芸能界に引き込まれた大まかなきっかけである。

立ち位置

運動神経はメンバー髄一で、宙返りなどは朝飯前でやってのける。この身体能力は、齢40代になっても衰えることが無かった。

命名の理由はハナ肇からで、ドリフメンバーは全員ハナから命名の提案を受けたという。曰く「水に関係する芸名は縁起がいい」とのことで、仲本工事の場合は「怪我ばかりでいつも工事中だから」「工事現場は水を多く使うから」というのが理由だったとか。

…後者は完全にこじつけであるが、高木ブーに至っては「豚は綺麗好きな生き物なんだ。豚小屋の清潔さを保つためには水が不可欠だろ?」ともっと遠ざかっているのでまだマシである。

志村けんが加入する前に、加藤茶が交通事故を起こして休演した際は、その穴を埋めるように活躍するようになる。その後荒井注がブレイクしたこともあり、ドリフのグループそのものの人気も鰻登りとなった。加藤復帰後、志村の台頭まではツートップで笑いを取っていた。

しかし仲本自身はミュージシャンとして勧誘されたため、コントはそこまで好きではないそうである。この点はいかりやも勘付いていたようで、著書で「仲本には大きな才能があるが、コントに対する向上心がなかった(要約)」と綴られている。今でも「なんでコントやってるんだろう」と思うと言い、当時もいかりやから叱られながらコントを続ける理由がわからなくなっていたという。しかしいかりやへの恩義は強いようで、2018年にインタビューを受けた際は「今会いたいのは、自分の母親といかりやさん」と語っている。

いかりやの「オイーッス!」や荒井の「なんだバカヤロー」のような彼ならではのフレーズやギャグの印象は薄いものの、秘書、腰巾着などの腰が低い役の他、インテリ、大人びているが小生意気な小僧などの役を担当し、笑いを取っていた。

8時だョ!全員集合』では先の宙返りなど体力面や身体能力を生かした芸で客を沸かせた。このため仲本工事と言えば体操服と連想するファンもいる。ほか、志村とのジャンケン決闘で「最初はグー」を全国に広めている。

ドリフ大爆笑』では、いかりや長介との「ばか兄弟」や、高木も交えた「雷様」のコントがお馴染み。

私生活

私生活では三回の結婚歴があり、初婚は死別(病没)、二回目は離婚、そして生涯最後となる三回目は27歳年下の妻を娶るなど、加藤茶とやや似た経緯を持つ。

私生活では3人目の妻と小さな居酒屋を経営しており(仲本は調理はせず他の仕事をしていたという)、その傍ら俳優活動を散発的に行いつつ、加藤、高木と共に『こぶ茶バンド』を組んで、原点となる音楽活動にも精を出していた。

2020年には自身のyoutubeチャンネルを開設していた。

死去直前の2022年10月12日にはデイリー新潮のWEB記事で

仲本の27歳年下の妻が家出、更に仲本宅がゴミ屋敷化しており、

不衛生な状態でペットの飼育をしていると報じられた。

訃報

2022年10月18日、神奈川県横浜市西区浅間町5丁目の交差点を横断しようとして車にはねられるという交通事故に遭い、重体で病院で治療していることが所属事務所からの発表で明らかになった。

その後、緊急開頭手術が行われたが、その努力も虚しく翌10月19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため死去。享年82(満81歳没)。

加藤は「仲本が事故に遭ったと聞いたとき、頭が真っ白になりました。本来であれば、今頃は一緒に仕事をしていたのに…突然で早すぎる別れに、ただただ驚いています。音楽もコントも、まだまだ一緒にやりたいことが沢山あっただけに残念です」とコメントした。

高木は「無念です。事故に遭う5日前に一緒の仕事で、控室で沢山話をしました。仲本に初孫が生まれ、孫がとても可愛くて、お互いに孫自慢をしたばかりでした。いつかは孫と一緒に暮らしたいと話していました。その時の仲本の笑顔が今も焼き付いてます。仲本が学生時代からの、もう60年を超える付き合いです。家族よりも長い時間です。本当に悲しくて、悔しい。雷様が僕一人になってしまいました。まだ一緒にコントも音楽もやりたかった。あちらには長さん、荒井さん、志村そして仲本が今1番逢いたいと言ってたお母さんもいます。どうぞ安らかに」とコメントした。

この訃報にファンからは「こんな死に方はさすがにないよぉ…。」「天国でいかりやさんと志村さんが怒ってますよ。」とやるせない気持ちが溢れるコメントが多数寄せられた。

「亡くなったのは残念だが、横断禁止の交差点を渡った仲本にも非がある」という厳しい声もあり(仲本が渡ろうとした交差点は信号機がなく歩行者横断禁止となっていた)、そういう意味も込められている。

仲本の行動に関して是非はあれど、志村が新型コロナウイルス感染症で急逝した僅か2年後にまたひとりドリフターズのメンバーがこの世から旅立っていった。

ドリフターズのメインメンバーで2024年現在存命しているのは高木と加藤のみとなった。

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