概要
2005年8月17日生まれ。
バルセロナで日本人の母親とアルゼンチン人の父親の間に生まれ、その後もスペインで育った。
元々はフットサルをしていた。チームメイトの家族やコーチ陣から上手さを評価された。その後、FCBペーニャ、サン・クガFC、UEコルネジャと3つのユースクラブでプレーし、RCDエスパニョール 、ジローナFC 、FCバルセロナからオファーを受けた。
2019年2月、FCバルセロナと正式に契約を結んだ。
2022年、英紙『ガーディアン』が選ぶ「世界の次世代サッカー選手60人」のネクスト・ジェネレーション2022に日本国籍を有する選手で唯一選出された。名を連ねたのはマティス・テル、ヴィトール・ウーゴ・ロッキ・フェレイラ、バレンティン・カルボーニら。「小柄だが力強く、ポゼッションでは非常に落ち着きがあり、前線への突破も速い」と評された。
2023年、FCバルセロナBの監督に評価され、同チームでの背番号も用意された。
2024年、怪我の影響でほとんど試合に出ることはなかった。6月25日、FCバルセロナ フベニールAからFCバルセロナBへ昇格できず、今月でFCバルセロナを退団すると報じられた。そうしたなか、本人はSNS上にカタルーニャ語と日本語のメッセージを投稿し、FCバルセロナ退団を発表した。アカデミーの他の多くの選手と同様に、トップチーム昇格という狭き門をくぐれなかった。
バルセロナ退団時のコメント
子供の頃からの夢は世界最高のクラブでプレーすることでした。この5年間、私にサッカーの価値観を教えてくれたすべてのスタッフ、テクニカルマネージャー、一緒にプレーした仲間達、そして常に私をサポートしてくれた家族、皆さんの支えがあったからこそ、毎日学び、成長する事が出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました!FCバルセロナで過ごした経験を大切にして、これからもずっと気を引き締めて頑張ります!
Jリーグへ
2024年7月17日、Jリーグのセレッソ大阪に入団し、プロキャリアを始めた。
代表
2021年、U-16スペイン代表に選出された。
2022年、U-19日本代表に飛び級選出された。10月28日スペイン遠征に臨むU-18日本代表に選出。
2023年、U-20日本代表に飛び級選出された。
人物
アルゼンチン、スペイン、日本の3つの国籍を有する。カタルーニャ語、スペイン語、英語、日本語を話す。日本語の敬語の使用は苦手である。
父親は1976年に起きたアルゼンチンの軍事独裁政権によるクーデターの影響で、スペインに移住した。その後スペインの学校で育った。母親は近畿地方出身のため、仁胡自身も影響を受けており関西弁を話す。現在は父と母は離婚している。
バルサの下部組織で学んだことは多いという。「サッカー以外でも、夢を叶えるためには自分をしっかり持つことの大切さ。あと、バルサにいるからと言って特別な人間だとは思わず、人に優しくすることも教わりました。バルサのカンテラからトップチームに上がった選手はたくさんいて、コーチとかから、そういう選手たちの昔の話も聞いていました。バルサのユニフォームを着て戦う試合はどれも特別でした。いつ最後の試合になるか分からないから、毎試合が戦いでした。」と話した。
将来の夢はラ・リーガでプレーする事。