曖昧さ回避
中国の麻姑
西晋・東晋時代に書かれた抱朴子の『神仙伝』巻二「王遠」と巻七「麻姑」で紹介されている、下八洞神仙の一柱である仙女。
その姿は18、19歳ほどの美しい娘で、手の爪が鳥のように長いとされる。
漢の孝桓帝の代に、神仙の王遠が平民の蔡経の家に現われた際に、呼び出された麻姑は蔡経の弟嫁が出産直後であることを遠目で知った。
そこで清めの米粒を持ってこさせて撒いたところ、その米が丹砂もしくは真珠に変わったという。
また麻姑は修行において、東海が桑畑になるのを3回も見せるとも伝わり、この故事は「滄海桑田」「桑田碧海」(世の中の移り変わりが激しい)という四字熟語になっている。
なお蔡経は麻姑を見た際に、その長い爪で背中を掻いて貰いたい「麻姑掻痒」(物事が思い通りになる)と不敬な想いを抱いたところ、それを王遠に気取られて叱咤されたうえ、姿の見えない何者かに背を鞭打たれた。
三国時代の『列異伝』では、蔡経は天罰により地に倒れ伏し両目から血を流したとされる。
ただし、背中が痒いときに用いる道具孫の手の語源は、この「麻姑の手」であるといわれる。
『列仙全伝』によると、俗世では五胡十六国時代・後趙の残酷な武将であった麻秋の娘であったとされ、父が農民を酷使するのを見て、複数の鶏を鳴かせて(時間を誤魔化し)休息を与えたことが発覚してしまい、折檻から逃れるため入仙したとされる。
その他、長寿の象徴とされているため、西王母の誕生祝いの際に美酒を贈る「麻姑献寿」は、中国において絵画のテーマとされている。
関連タグ
日本の麻姑
江戸前期の俳人井原西鶴が見聞きした奇談を集めた『西鶴諸国ばなし』の「麻姑の手」に登場する獣妖怪で、漢字では䲈鮕と表記される。
六浦藩の金沢(現神奈川県横浜市金沢区)に住んでいた流円坊という僧は、もはや仏の道を探求することも無く、海辺の庵で浄瑠璃節を語って過ごしていた。
あるとき流円坊が訪れた入り江に不思議な二匹の獣が現われ、一匹は集められた流木を、もう一匹は干魚を持ち頭を垂れていた。
流円坊はありがたく思って精進を破り魚を食べて、この獣たちと仲良くなった。
すると寂しく思っていると訪れてくれるようになり、身体の痒いところを察して掻いてくれるようになった。
あるとき一匹しか訪れなくなり心配していたところ、だいたい百日が過ぎた頃に二匹で現われ、流円坊の故郷である伊勢大淀の円山上人の紫の衣の欠片を持ってきた。
その数日後に円山上人の死去の報が届き、流円坊は衣の欠片を持って伊勢の寺に上ったといわれ、その出来事があった入り江は「衣の磯」と呼ばれるようになった。
この獣妖怪はツイッターの伝承妖怪お題絵において、平成25年7月のお題として出され、妖怪絵師によって新たな姿が与えられた。
関連イラスト
原典では猫のような挿絵が描かれているが、魚編が付いた漢字で記述されることから怪魚として描かれることもある。