0戦はやと
ぜろせんはやと
「週刊少年キング」(少年画報社)創刊号(1963年7月8日)から1964年第52号まで掲載された。作者は辻なおき。
1966年に同じく週刊少年キングから「0戦仮面」という続編的な作品が連載された。
アニメ版は1964年1月21日から10月27日までフジテレビ、関西テレビ、東海テレビなどで放送された。全38話。ピープロダクション制作。モノクロ作品。ピープロが初めて制作したテレビアニメである。
内容が(フィクションとは言え)太平洋戦争を題材としたものであったためテレビ局の労働組合からの風当たりは相当なモノがあった(うしおそうじ曰く「特にTBSがきつかった」)。それ故に保守寄りであったフジテレビが放送を引き受けた、という話があった。
この当時少年漫画では戦記モノがブームであり『紫電改のタカ』や『大空のちかい』、『あかつき戦闘隊』や『ゼロ戦レッド』など各誌で太平洋戦争時の戦闘機乗りを題材にした作品が連載されていたが、アニメ化されたのは本作だけだった。
さらに放送開始後は内容故にPTAからも睨まれたという。そんな事もあってか視聴率は良かったとは言えず、一度は26話で終了する話も出てしまった。
明治製菓の一社スポンサー番組であったが、名義は当時明治製菓が手掛けていたカレールウ「明治キンケイカレー」であった。
アニメ版では敵国の名前はアルファベットで伏せられている。
1980年代に第1話と第2話がそれぞれ別の会社からVHSが発売されたが、以来ソフト化はオープニング映像のみにとどまっている。
昭和17年(1942年)、大日本帝国海軍は各戦線から腕利きの撃墜王35人を集め、宮本大尉の下に爆風隊を結成、ニューギニア戦線で64機撃墜の実績を誇る東隼人もその一員に選ばれた。隼人の父東大佐は敵のエース・パイロット、スカイキング中尉(後にキングサタン中佐と名前が変わる)に撃墜されてしまう。隼人は父の旧友であり仇でもあるキングサタン中佐と幾度となく激闘を繰り広げる。
倉本聰:アニメの脚本の一部を担当。また、主題歌の作詞も手掛けている。