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概要編集

1929年7月5日生まれ、東京都出身。劇団東芸、劇団俳優小劇場、芸能座などを経て、1998年以降、芸能活動をほぼ声優業に一本化した後は、死去するまで青二プロダクション所属だった。

劇団時代の仲間には田の中勇野沢雅子が居た。特に野沢雅子は共演作も多く、野沢雅子にとっても長い付き合いの先輩であった。


おめでとうございますっ


人物編集

晩年は声優としての知名度の方が高かったが、大塚周夫自身は最期まで、本業はあくまで俳優であるという認識の持ち主の1人であった。俳優としては、NHK大河ドラマに頻繁に出演し、名脇役として定評があった。だが、63歳の時に、体力が低下したと感じ、舞台での活動をやめた。その後、当時所属していた事務所のマネージャーにギャラを騙し取られていたことや、共演者の演技力低下に憤りを感じて1998年に放送された「踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル」を最後に、俳優としての活動を一切とりやめる。

その後は声優業に専念する事を決意し、青二プロダクションに移籍。インタビューを除いて逝去するまで声の出演専門の役者を貫いた。


一方、そんな声優業としては、吹き替えを皮切りに、アニメゲームナレーションと、様々なアフレコ作品に出演。渋い漢、おどけた悪役、悪魔的なラスボス、理解ある上司教師)まで、ありとあらゆる役をこなした。

特に吹き替えでは、チャールズ・ブロンソンリチャード・ウィドマークのほぼ専属に近い声優であることでも知られる。

若いアニメファンからは、空耳で有名な総統閣下シリーズの主要人物・アドルフ・ヒトラーの日本語吹き替え担当でも知られる。

既婚者で子供がおり、同業の大塚明夫はその長男であった。


上位の経緯から芝居に関しては非常に厳しい人物で、それを物語るような強面だったが、それに反して茶目っ気のある性格で、フェミニストだったという。

自身の技術を活かした「芝居教室」を開くことには否定的だったが、後輩への面倒見は大変良く、後輩の芝居に関してアドバイスを積極的に行ったり、自身の体験談を後輩に語って場を和ませたりしており、逝去後の同業者からのコメントでも「アフレコの合間にしてくれた雑談がいつも面白かった」と口々に語られている。

ちなみに劇団東芸で看板役者を務めていた頃から、鬼太郎で共演した野沢雅子田の中勇とは古くから親交があった。特に野沢雅子は周夫の後輩であり、野沢を「マコ」「野沢くん」と呼べる数少ない役者だった。


演者として編集

役者として人間研究に余念がなく、これは齢80を越えても変わらなかった。カセットテープで周囲の会話を録音したり、釣り同好会的な組織に年齢制限を越えて入会して老いの表現を探求するなど、リアルな人間を表現することに余念がなかった。そのため「役者に車は不要」というのが持論で、移動は専ら電車であり、その車中で些細な会話や仕草を見てリアリティを研究し続けた。そして実際、逝去前に倒れたのも電車(地下鉄)の中であった。


声の仕事をするキッカケになったのは、黎明期の声優の例にもれず、外画の吹き替えである。

リチャード・ウィドマークの映画がテレビ局の外画部に入ったという話を聞きつけると、プロデューサーの元へと自ら出向き「この役者(ウィドマーク)の演技はとにかく研究した、自分はしっかりやりきれる自信があるからやらせて欲しい。合わなければ使わなくていい」と直談判したのが始まりだったという。


その後はアニメ出演も増えたものの、本人はあまりアニメが得意ではないと本音を語っている。特に苦手としているのはナレーションで、「どこに(役者としての)自分を置けばいいかわからないから」としている(逆に息子の明夫はナレーション仕事好きだとか)。そんな周夫の生涯最後の仕事はナレーションであったが、その時も「芝居をしてやった」と周囲に語っていたという。


苦手と言いつつも、晩年はアニメ・ゲーム・洋画吹き替えなどにおいて幅広く活躍した。というよりあまり仕事を選んでおらず、ラノベ原作のアニメ「バカとテストと召喚獣」にて、浴衣コンテストの審査員として、性癖を惜しげもなく披露する変質者まで演じたことがある。このようにレジェンドと言われるレベルの大物役者でありながら、ジャンルを問わず多くの作品に参加している。そもそも自身が「なるだけどんどん出演したい」と希望していたという逸話もあるが定かではない。


また、息子である大塚明夫との血縁関係を狙ったキャスティングが増えたのは、声優専業になってからである。ただしそれ以前にも共演自体はしばしば行っており、また予算の少ない機内映画の吹き替えにおいて、明夫がチャールズ・ブロンソンの代役をしたこともあるという。なお、明夫はそんなチャールズ・ブロンソンの生まれ変わりとして注目された「ロバート・ブロンジー」の吹き替えを担当している。


基本的にはアフレコ業開始のきっかけとなった吹き替え業が中心であり、先の通りアニメやナレーションは苦手と明かした一方で、架空のキャラクターであっても役作りに一切の手は抜かず、その入れ込み用は息子の明夫からも絶賛・尊敬されるほどであった。


一方で明夫曰く「上にも下にも媚びない昔気質の人間」と評されている。かつては自分の持ち役である吹替俳優がまったく違う人間に演じられたことを知ると、わざわざ会社まで乗り込んだことがあるという。その時はプロデューサーに物凄い剣幕で「下手くそに演らせやがって!」と詰め寄ったりしていたとか。自信があるだけに半端な人間にはやらせたくないという意思があるようだった。それでも予算的に当時の声優が呼べない媒体はあり、怒鳴り込んだエピソードが知られていたためか、先のように「ちかさん、自分の息子が代演するなら文句ねぇだろ」という理由でチャールズ・ブロンソンを明夫がやることになったとのこと。


この手の大御所は、言わば業界的には使いにくい性格と言われやすいもので、山田康雄などは降板計画が実行されるなど、その手にエピソードには事欠かないことも多い。が、大塚は晩年に至ってもほとんど仕事が途切れることなく、インタビューも多く受けるなど周囲から頼られ尊敬されるだけの実力を持った名優であった。


悪役編集

自身が演じてきた悪役というカテゴリーには非常にこだわりがある。悪役とは弱みを一つ持つ人間と捉え、人外であろうが一人の人間として意識して演じていた。


かつては「最後に同情を引くような、最後に可哀想と思わせる悪役は好きではなく、根っからの悪が好みだ」と語り、自身が悪役として活躍した後年から改心する悪役が多くなったことに苦言を呈したことがある。

しかしガンバの冒険ノロイの最期は哀れに思ったそうで、「死ぬ時は見ている人に可愛そうだと思われるように演じるのが希望だったが、それは上手く表現できなかった」といった自己評価をしている。


活動後期になると子供番組においては憎まれすぎない悪役を演じることを意識していた。ソニックで共演した金丸淳一にも「悪役はどこか抜けたり突っ込みどころがある方が愛される」と持論を教えたことがあるという。


ねずみ男編集

周夫がしばしば特にお気に入りのキャラクターとして語っている。「半妖怪」という人でも妖怪でもない立場から、役作り上最初は悩んだものの、「どこにも寄る場所が無く、段々やけっぱちになっていき、平気な顔で人を裏切る人格が形成されていく」といった考察に行き着く。本人曰く「人間の嫌な所ばかり拾っていくとねずみ男になる」とのこと。すると人間のいい加減さ、人間の裏を体現したキャラクター性に共感を覚えていき、いつしかねずみ男の役作りに絶対的な自信を持つようになるほど張り切るようになった。


ねずみ男の役は先の通り「この役作りだけは絶対に間違いはない」と豪語するほど、絶対的な自信を持っていた。

しかし、第3作目目玉親父演じる田の中を除いてキャスト全交代となってしまい、「何が悪かったのか」と首を傾げ、野沢雅子と顔を合わせると度々「なんでだ?」と話しかけては悔しがり、残念がったという。先のように自信があったこともあり「これ出来る人いないんじゃない?」と訝しがっていた。『創ったヒト』でこれについて聞いていたケンドーコバヤシはこれについて「煮込んだカレーを人に食われたような感じですね」と例え、周夫も「上手い」と同意していた。


後任である富山敬に対してはどんな思いだったかと聞かれた際は「思いっきりやってください。ただ先代に負けないように」と考えていたことを語っているが、実際にエールを送ったのかは不明。

一方、四代目(第5期)の高木渉は周夫から実際に言葉を受けている。別番組で一緒になった際「ねずみ男を演ることになりました」と報告すると、「今は君がねずみ男なんだから自信を持って演りなさい」と周夫はエールを送ったという。が、その後オンエアを見た周夫から直々に「ちょっと違うなぁ、ねずみ男っていうのは………」と、長いダメ出しをされてしまい、「自由にやっていいって言ってたのに!」と内心タジタジだったという。それだけ周夫にはねずみ男に対する深い愛着とこだわりがあったということである。


高木は後々に白山坊役として参加した周夫と鬼太郎で共演。芝居で多く絡む間柄を演じることができたのが嬉しかったとしている。この体験を元に、(第6期)の鬼太郎が始まると知った際は「白山坊を演じさせて欲しい」とプロデューサーにダメ元で直談判したくらい、思い出に残る経験だったとか。なお、この直談判は実現している。


突然の死去、そして没後編集

2015年1月15日、虚血性心不全のため新宿区内の病院で死去。85歳没。

関係者の話では、死去当日には青二プロダクションの新年会があり、出席していた際には、本人は元気そうに酒も飲み交わしつつ、同胞達と語らっていたとのこと。しかしその帰宅途中、乗っていた地下鉄の車内で発作を起こして倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。

新年会における朋友・野沢雅子らとの談話で、「自分は知ってる人間がいないところでパーッと死ぬ」と漏らしていたと言い、その直後の死だけに野沢は「何も実行することないじゃない…」と言葉をつまらせた。


明夫によると、この日はさらに普通に仕事もこなしていた。奇しくも丁度一年前に亡くなった同事務所の永井一郎も同じく仕事をこなした後の悲劇だった。戸田恵子山口勝平神谷明千葉繁古谷徹立木文彦岡野浩介金丸淳一、そして芸能人である中川翔子など、訃報を知った生前の共演者やスタッフから、SNS、公式サイトなどを通じて、その死を悼むコメントが発表された。特に金丸は逝去後もしばしば周夫の残した金言に心打たれるという。


そして、死去当日にレコーディングが行われたテレビ東京系番組『1位じゃなくっていいじゃない』のナレーション収録が生涯最後の仕事となった。なお、全て収録出来ていなかったのか、それとも最初からそのつもりだったのかは不明だが、ごく一部は明夫が担当し、最後の親子共演ともなった(番組中では断片的にボイスを補っているため、おそらくは前者)。


喪主は明夫が務め、弔辞は野沢と、忍たま乱太郎落第忍者乱太郎)の作者で知られる尼子騒兵衛が読んだ(尼子はアニメ化の際に山田伝蔵を周夫で指名した)。通夜・葬式には、数多くの同業者やアニメ・ゲーム関係者、吹き替え制作のスタッフが多数参列した。戒名は、遺族や本人の意向から付けられなかった。


また、大塚よりもほんの数日前の1月12日には、81プロデュース花形恵子も亡くなっている。


出演編集

吹き替え編集

イラスト未確認


アニメ編集

イラスト未確認

校長先生@劇場版 金色のガッシュベル!! 101番目の魔物


※1 後任は息子・大塚明夫(没後に収録が行われた第23期26話以降)。

※2 後任は岸野幸正(没後に製作された各種ゲーム作品。ただし、岸野は周夫存命中に放送された『ドラゴンボールZ』及びその直近のゲーム作品でも同役を一時的に演じていた)。

※3 後任は津嘉山正種(没後に制作された第849話以降)。

※4 後任は咲野俊介(没後に制作された『トイ・ストーリー4』での担当)。

※5 偶然かピーターパンの冒険でもフック船長を担当している。また存命中に内田直哉と交代している。


ゲーム編集

イラスト未確認


※6 後任は中村浩太郎(没後に制作されたマリオ&ソニック AT リオオリンピック以降)。

※7 故・青野武の後任(DEAD OR ALIVE 5以降)。

※8 後任は息子・大塚明夫(2022年6月20に実施される最終上限解放追加後。と同様に収録済ボイスはそのまま維持と思われる)


コマーシャル編集

ワリオ※9@ワリオランドシリーズ
ワリオ

※9 後任は近藤浩徳(没後に制作された『メイド イン ワリオ ゴージャス』での担当)。


パチンコ編集

クワイ=ガン・ジン@CRフィーバースター・ウォーズ ダース・ベイダー降臨ドゥークー伯爵@CRフィーバースター・ウォーズ ダース・ベイダー降臨
Qui-Gon JinnWarriors of the CIS

人形劇編集

ゴロンタゴロンタ劇場(画像中央)
ゴロンタ劇場

外部リンク編集

プロフィール


関連タグ編集

大塚明夫 森山周一郎 野沢那智

リチャード・ウィドマーク チャールズ・ブロンソン

ねずみ男 エッグマン 山田伝蔵

ブラック魔王 フック船長 海原雄山 モリアーティ教授 ノロイ

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