国鉄では電化の進展と共に保守管理する範囲も増大する一方で、交流区間の架線検測車は直接式交直流電車の試作車両を検測車に改造したクモヤ493系が担っていたが、この車両の出自は元を辿れば旧国のクモハ51を改造した車両、さらには台車も制御機器も試験用の特殊な台車で老朽化と予備部品枯渇のダブルパンチによる稼働率低下と相成り、ここに新車で高速走行可能な検測車が製造される事となった。
昭和41年(1966年)にクモヤ495系が誕生。稼働率向上や標準部品採用を考慮して、標準的なMMユニット2両編成となる。
誕生時は各車両に2基のパンタグラフをそれぞれ搭載していたが、その後の改造で1基を下ろして、2両で3基のパンタグラフ搭載となった。実は検測専用と集電用のパンタグラフが分かれており、検測用のパンタグラフ(2基→1基となった側)は集電用配線がなされていない。
電気機器は直流と交流50/60Hzの国内の在来線全ての電化方式に対応するよう485系と同等品を積んでいる一方、台車は160km/hでの走行が可能な特殊な台車を装備している。
車内には大容量のバッテリーを搭載しており、電気が無い状態でも測定機器を動作できるように設計されていた。実際に九州の交流電化では通電前の検測として、蒸気機関車に牽引されながら検測する本車両の姿が見られた。
車体は475系をベースに正面非貫通としたようなもので、中央東線の狭小トンネル線区も入線可能とするため、全体的に屋根高さは抑えられている。
本車両は2両1ユニットだけで使用される検測車だったのだが、初期確認用の向日町運転所から金沢運転所に転属後、連結器の両用化とエアホース増設(自動連結器用)、制御用ジャンパ栓(KE70+KE58栓納め)の増設を受けて牽引車代用としての使用も行われるようになり、工場入場回送のお供を務めている姿が残されている。
その後、パンタグラフを1基減らした改造時にクーラーの増設と架線摩耗を測定する装置の追加が行われ、パンタグラフ3基の姿で国鉄分割民営化を迎える事となる。
1987年にJR東海へ引き継がれたが、管内に交流電化路線を持たないために交流機器を撤去し、機能面で近い193系50番台に編入された。ただし塗装変更は行われなかった為、交直両用のサーモンピンク塗装のままの直流用電車という不思議な姿で走っていたが、その後直流用検測車の青+黄色の塗装に改められた。
JR化後も検測車として活躍していた車両であったが、老朽化には勝てずキヤ95系に後を譲り、1998年廃車。