バールクス「お前たちの平成って、醜くないか? まるでデコボコで、石ころだらけの道だ……」
常磐ソウゴ「醜い……!?」
バールクス「俺が平成という道を、きれいに舗装し直してやろうってこと」
概要
映画『仮面ライダージオウ Over Quartzer』の登場人物の1人である常磐SOUGOが発した問いかけ。
彼は「クォーツァー」という組織を率いているのだが、この一言は平成ライダーの歴史を消滅させ、自分たちが考える美しい平成ライダーの歴史を再構築しようと企むクォーツァーの思想を端的に表している。
対義語?は「瞬瞬必生」。
平成の世に生まれ、そして平成の世に逝ってしまったライダー達に対して失礼極まりないのは言うまでもない。
メタ的な考察
そもそも『Over Quartzer』のテーマとは「平成ライダーとは何か」という問題提起と、その結論付けである。
実写テレビドラマである以上、予算や天候、人的都合、その他大人の事情といったくびきからは逃れることができない。そんな中で平成ライダーシリーズは、様々な矛盾やトラブル(設定や時系列の齟齬、歪に複雑化した事で混沌とした世界観、年号のカテゴライズ問題、ゲストヒーローの扱いの難しさ、ファン同士の対立など)を重ねながら20年に渡り放送され続けてきた。
この有様を良しとしないクォーツァーのトップが言い放った皮肉こそが「お前たちの平成って醜くないか?」なのではないだろうか?
作中には、ソウゴが「今の俺たちが知っている時代なんて、後世の人が勝手に作った創作物みたいなものかもしれない」と語るシーンがある。現実の歴史だって、未解明の謎や新発見、それに伴う矛盾も多いし、様々な価値観や環境で受け取られ方も変わっていく。フィクションも然り。
それに、人間は自分の人生すら自分の計画通りに進めることはできない。現実もフィクションも、デコボコじゃない歴史なんてないのである。
反響
これまでメタフィクションを扱ってきた作品は数あれど、物語最大の黒幕、それも物語の外側からやって来た存在が直接平成という元号を否定しに来たケースは前例がなかった。
その語感の良さや初見での意味不明さから、ライダーファンの間では一種の流行語と化しており、TV番組で映画主題歌が流れ出すとこのセリフが脳裏をよぎり、「平成はまだ終わっていない」という感覚に襲われるという。
2000年……つまり、平成12年から始まったヒーロー番組シリーズ1つの問題を取って平成の特撮全体をやり直そうとするのは、あまりに大雑把であり、元号の私物化と呼ばれる事も多い。
究極の自虐ネタと言っても良いセリフであるが、SNSで仮にこのスラングを使っている人がいたとしても、大半はクォーツァーのように平成ライダーシリーズ(もしくは平成という時代)を蛇蠍の如く嫌っているわけではなく、否定のためのワンクッションやネタフリとして使っていることを理解してあげよう。
噛み砕いて言うと、『翔んで埼玉』における埼玉県の扱いのようなもので、一種の平成ノスタルジーを体現したスラングとも解釈できる。
改変次第では褒め言葉や自画自賛、単なる問いかけにも使えるのだから便利なものである。もはや「〇〇ないか?」ぐらいに原型を崩されるパターンもある。
(例:「このOP、美しくないか?」/「俺たちの平成って素晴らしくないか?」)
この記事でもこのセリフについて触れられており、より初心者にもわかりやすい解説がなされている。
そして…
『全部わかる?懐かしの装動ヒストリー&リバイスちら見せ!?』
この動画にてOver Quartzerのラストシーンを再現したバールクスの装動が『平成引きずる板も出た醜い時代だね〜』という歌詞と共に紹介された。なお、これだけに終わらず、セイバー第6弾も『平成終わらぬ弾も出た 醜い時代だね〜』という歌詞で紹介されている。