BPS
びーぴーえす
- ゲーム会社、本記事で解説。
- AIC制作のアニメーション作品→「BPSバトルプログラマーシラセ」へ。
- データ転送速度(読み込み/書き込み)の単位、bit per second (ビット毎秒)の略。たぶん1&2の元ネタ。
英名、Bullet-Proof Software。Bullet-Proofとは『防弾の』の意味だが、転じて『完璧な』の意味も持つ。
1983年にパソコンで日本初のファンタジーコンピュータRPGである『ザ・ブラックオニキス』を発売した会社。
また、日本のファミコン版、スーパーファミコン版『TETRIS』シリーズ(他に『ボンブリス』『テトリス武闘外伝』など)を開発した会社としてもよく知られる。
他にもさまざまなパズルゲームや『首都高バトル』『ヨッシーのクッキー』などのゲームを製作していた。プレイステーション、ドリームキャストなどの次世代機にも参入していたが、2001年3月に解散した。
ファミコン版『テトリス』のボタン操作は、「Aボタン:ハードドロップ、↓キー:回転」という異次元操作で有名であったが、PC-98シリーズなどのパソコン版も開発していたため、その操作方法に準拠したと言う説が有力である。
(余談だが、「Aボタン:回転、↓キー:落下」の操作系を確立させたのはSEGAである。)
この操作方法には批判があったのか、後にBPSが開発協力したゲームボーイ版『テトリス』や、BPSとチュンソフトが協力したファミコン版『テトリス2+ボンブリス』などでは大幅に改善されている。
ザ・テトリス・カンパニー関連
日本の横浜市のBPSの創業者であったオランダ人のゲームクリエーター、ヘンク・ブラウアー・ロジャース氏は、1995年にアメリカのハワイ州ホノルル市にも、同じく略称「BPS」となるブループラネットソフトウェア(Blue Planet Software)を設立。
同じ略称にしたのは何かのこだわりだったそうだが、創業者は同じでもそれぞれ別の会社である。
その後、1996年にテトリスの制作者のアレクセイ・パジトノフ氏と共に「テトリス・ホールディング」および「ザ・テトリス・カンパニー」を設立し、以降は世界中のテトリスの著作権とライセンスを管理している。
つまりは中身こそ違うが事実上「BPSが世界のテトリスの覇権を握った」形になっている。
実は当時1980年代後半のテトリス関連のライセンス関係が怪しい状況の中(詳しくはテトリスの項目参照)、ソ連に渡りテトリスのライセンス交渉をしたのがロジャース氏である。
交渉経てパジトノフ氏と交流を重ねていた時、テトリスの生みの親であるパジトノフ氏には何のパテントも無く、ソ連の社会主義故の「開発やアイデアの権利は国のもの」という政策から、ロジャース氏は開発者であるパジトノフ氏に権利はあるべきだというものを「リンゴの木」に例えた暗喩のメッセージをソ連側へ送ったそうだが、それに対する返答はついに無かったという。