MGR-1
おねすとじょん
MGR-1は、アメリカ合衆国が1950年代から運用していた核弾頭搭載地対地ロケット弾である。通称「オネスト・ジョン」。
アメリカ初の核弾頭搭載地対地ロケットであり、最大射程26.5km(基本型)~40km(改善型)で、戦術核攻撃での運用が想定されていた。核弾頭の代わりに通常の高性能炸薬弾頭を搭載できるようにも設計されている。
1950年5月、アメリカ陸軍武器科長官房局はレッドストーン兵器廠に特殊用途の大型野戦ロケットの予備設計研究を指示した。同年秋に予備設計が始まったが、コスト削減と開発期間短縮のためまだ使用できる在庫資材を最大限活用するよう規定されていた。
1950年12月には正式にレッドストーン兵器廠の司令官に技術監督が任され、当時の兵器廠司令官オルガー・N・トフトイ准将によって「オネスト・ジョン」と命名された。
名前の由来は英語のスラング「正直者のジョン(馬鹿正直)」で、開発当初巨額の開発費のかかる無誘導ロケット弾計画に疑問の声が上がる中、トフトイ准将がある席で「どういうわけかみんな俺のことをオネスト・ジョンと呼ぶんだ」が口癖の人物と出会ったことから、各所で批判されていたプロジェクトにこの名前を命名したとされる。
本格的な設計・研究はダグラス・エアクラフトが行い、1951年6月には実証実験モデルが完成。無誘導ロケット弾としては悪くない精度を得られたことから軍上層部からも高い評価を得て、要求仕様が確立されるよりも先に開発計画の加速が指示されている。
1952年6月にはダグラスに再設計が行われた改良型50基の製造契約が与えられ、1953年1月にXM31として完成。
さらに追加の飛行試験を行い、初期の技術的不足が修正されたことが確認されたことで1953年9月にM31として制式化された。
1954年春から在欧米軍に配備され、6月に6個中隊がヨーロッパに配属された。アメリカ初の戦術核兵器であった。
M6固形燃料ロケットモーターを動力とする直径762mmの無誘導ロケット弾で、2基のM7スピン・モーターを用いるスピン安定化ロケットである。
弾頭、ロケットモーター、安定翼の3つに分けられて輸送され、発射地点で組み立てて使用する。
ロケットはM54トラックを改造したM289/M386発射機に載せられ、照準から5分で発射できた。
運用に必要な人員は6名。当時のアメリカで最も簡単に運用できる核兵器だった。その単純な構造から運用側ではより精度の高いMGM-5コーポラルやMGM-18ラクロスよりもオネスト・ジョンが好まれたとされる。
弾頭には最高20ktのW7核弾頭が搭載されたが、後に最高40ktのW31弾頭も搭載できるようになった。
1954年11月からは更なる精度改善計画が始まり、予算の都合で一時中断されたが1958年にXM50として完成。飛行試験と改良を繰り返し、1962年12月にM50として制式化された。
ロケットモーターの軽量化とフィンの改設計により高い推力と約2倍の射程を得られるようになった。
1963年6月に命名規則が改正されるまでは基本型がM31、改善型がM50と呼称されていた。命名規則改正後は基本型はMGR-1A、改善型はMGR-1B、改善型の生産性を改善したM50A1はMGR-1Cとなった。
1982年までに退役している。
日本では、初期の東宝特撮映画に登場していたことで一部の人々に知られている。
これは、当時核弾頭を搭載可能なMGR-1が在日米軍に配備されることが国会において当時の最大野党社会党から問題視されており、その風刺をこめて登場したとされている。
- 『空の大怪獣ラドン』
阿蘇山のラドンを攻撃するために出動。分解されて輸送されている描写もある。
- 『地球防衛軍』
ミステリアンドームを攻撃する。
予告編では新規撮影したカットも確認できるが、本編では『空の大怪獣ラドン』の流用で登場している。
第3次攻撃ではオネスト・ジョンと共に類似した形態の地対地ミサイル発射器が登場しているが、当時のパンフレットには「ソ連製ICBMの発展型」と解説されている。
- 『ウルトラQ』
第8話でモングラーへの攻撃に使用された。映像は全て『空の大怪獣ラドン』の流用。
ネガドンへの攻撃に使用される。