概要
1936年にイタリア空軍からの発注によりレッジャーネ社で開発された。
ライバルであるMC.200、G.50などの戦闘機と比べると、飛行性能は一段上だったが、それに比例して機体構造が複雑かつ搭載したピアッジョP.6エンジンの信頼性が低い、更に翼内に燃料タンクを設けたことで、他2機種より航続距離が長かったがその分被弾時の危険が大きいとの判断から、イタリア軍での採用からは外され輸出用に回されることになった。
ハンガリー、ユーゴスラビア、スウェーデン、スイス、フィンランド、スペインからの発注を獲得したが、第二次世界大戦開戦によりスウェーデンが「J20」として60機、ハンガリーが「ヘーヤ(Heya、矢)I」として70機獲得したのみに終わった。またハンガリーではライセンス生産が行われ、「ヘーヤII」として192機が生産された。
またイタリア海軍が空母艦載機用として、空母運用の設備を備えたSerie2を12機、燃料タンクを増設したSerie3を24機生産した。
結局イタリアで生産された機体はスウェーデンとハンガリーへの引き渡し用とイタリア海軍で生産された型にとどまり、1943年の休戦時には2機しか残されていなかった。
しかしその後もダイムラー・ベンツDB.601を搭載したRe.2001、ピアッジョP.19を搭載したRe.2002、DB.605を搭載したRe.2005へと進化していくことになる。