概要
ドイツ海軍が保有していた「Z1型駆逐艦」の3番艦。艦名の由来は第一次世界大戦中にドイツ海軍の水雷艇「V69」の艇長を勤め、イギリス海軍による攻撃を受け艦が大破した際に死亡したマックス・シュルツ少佐にちなむ。このシュルツ艇長は、1番艦の艦名の由来となったレーベレヒト・マース少将の下で働いたことがある人物でもある。
ドイチェヴェルケのキール造船所にて、1935年1月2日起工。1937年4月8日就役。
1939年8月27日、バルト海で水雷艇ティーガーに衝突し、ティーガーは沈没。ティーガーの乗組員2人が死亡したが、マックス・シュルツ側の死者はなかった。この事故で艦首を損傷したマックス・シュルツは1939年9月末まで修理に時間を要し、第二次世界大戦開戦に出遅れてしまった。
修理が完了したマックス・シュルツは、同年10月ノルウェー南岸沖へ出撃する戦艦シャルンホルストなどに同行。
だが、10月28日に悪天候の中を出撃中のマックス・シュルツの第一缶室でタービンが破裂し、一時的に操艦不能となってしまう。更に機関室にも浸水し、缶室に海水が入り水蒸気が爆発、これにより缶の修復を試みた機関士の1人が死亡。なおも浸水は悪化し、配電盤・発電機のショートによる電話不通、第一缶室の爆発の影響による給水ポンプの故障、第二缶室の缶も使用不能、第三缶室の缶も使用困難になるなど負の連鎖に陥り、ノルウェー沖の荒波の中で全機関停止という危機に陥ってしまった。
不運なことに波の影響で自軍が敷設した機雷原に向かってしまい、発電機故障のせいで錨も降ろせず艦を止めることができないという絶望的な状況だったが、奇跡的に第三缶室の缶が1基復旧したことで17ノットを発揮可能になり、帰投後キールにて修理を行った。
1940年2月22日ヴィーキンガー作戦に参加するが、レーベレヒト・マース同様作戦中に友軍機に誤爆され、回避行動の最中にイギリス海軍が敷設した機雷に接触し、轟沈。乗員308名全員が死亡した。