Z1(駆逐艦)
つぇっとあいんす
ヒトラー政権の誕生とヴェルサイユ条約の破棄により再軍備を進めたドイツ海軍が、第一次世界大戦後に初めて建造した「Z1型駆逐艦」の1番艦。1934年に起工したことから、「1934型」とも呼ばれる。
Z1型の「Z」とは、ドイツ語の駆逐艦"Zerstörer(ツェルシュテラー)"の頭文字から。
艦名はドイツ帝国海軍少将レーベレヒト・マースに因む。日本でいう峯風型や睦月型に近い、ドイツ初の本格艦隊型駆逐艦の第一号でもある。
Z1型駆逐艦は姉妹艦が4隻建造されたが、搭載している新型の高圧ボイラーは整備が困難であり、大きな振動を発するなどして十分な性能を発揮できず、5隻目からは改良型のZ5型へ移行した。このボイラーは最大出力70000馬力、最高速度38ノットを出す計画で、カタログ上ではほぼ同時期の日本海軍の吹雪型(特型駆逐艦)をも凌駕する性能だったが、実際にはこれが仇となって故障が頻発していた。バルト海などドイツ近海での戦闘を想定して設計されたため、航続距離は長くない。
武装は12.7cm単装砲5門と四連装魚雷発射管2基。
砲火力自体は同時期に建造された白露型駆逐艦と同等だが、実はかなり無茶な設計である。というのも、日本の白露型駆逐艦が連装砲塔を採用して省スペースで多くの砲を搭載したのに対し、Z1型は単装砲だったため、装備重量がかさんでしまった。結果、かなりのトップヘビーとなり、安定性を確保するために日米英の駆逐艦の1.5倍程度の排水量になった。ロンドン条約に縛られていなかったドイツだからこそ、この解決法が可能になったのである。
なお、駆逐艦に連装砲を搭載するという方式は日本が特型駆逐艦で採用したものだが、世界的にはこの時点でも未だ浸透していない。条約の制限下にあったアメリカやイギリスでも、砲を軽量化したり新砲を開発するなどして対応した。
ドイチェヴェルケのキール造船所にて、1934年10月10日起工。1937年1月14日就役。
1939年9月の第二次世界大戦開戦直後に、ポーランド海軍の駆逐艦及び砲台と交戦し早々に損傷、12月までドック入りすることになる。
翌1940年2月18日、戦艦シャルンホルスト・グナイゼナウなどと共に出撃。ノルウェー沖での通商破壊に向かうシャルンホルストなどとは途中で別れ、スカゲラク海峡で通商破壊を行った後2月20日に帰投。
同年2月22日ヴィーキンガー作戦に参加するが、作戦中に友軍機に誤爆され爆弾が命中し、その後爆発、沈没。乗員286名が死亡した。