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概要編集

極左暴力集団東アジア反日武装戦線」のメンバー。

1954年1月9日生まれ、広島県神辺町(現:福山市)出身。


尾道市高校を経て進学した明治学院大学で東アジア反日武装戦線に参加し、さそり班として活動。

1975年の連続企業爆破事件に関与したとされるが、高校時代の同級生へのインタビューによると、当時は政治への関心を殆ど見せておらず、ノンポリと認識されていた。

新左翼に傾倒したのはよく言えば直、悪く言えば影響されやすい性格が理由ではないかとのことで、高校時代は静かな語り口だったが、大学時代は男気溢れる強い広島弁を話していたという。


同年5月にメンバーが一斉逮捕された際に逃亡し、行方不明となる。父親に電話で「岡山に女と3人でいる。金を準備してくれ。国外へ逃亡することも考えている」と伝えたのが警察が把握できた最後の足取りであった。

元メンバーの黒川芳正によれば、桐島は犯行後事の重大さに激しく動揺・後悔していたという。


内田洋編集

その後の桐島がどのようにして過ごしていたのかは、本人が名乗り出てから4日後に死亡し、記録も残さなかったため謎が多い。本人と周囲の証言によれば、1980年代より神奈川県藤沢市の工務店に「岡山県出身の内田洋」として量に住み込んで働いていたことがわかっている。

逃亡中であるため健康保険証運転免許証など身分を明らかにしなければ取得できないものは持てなかったので、車や携帯電話の所有は当然のことながら、病院にかかることもなかなかできなかったため死亡した時点では歯が一本もなくなってしまい、豚の角煮といったやわらかいものしか食べられないなど、生活には制限があり、かつ健康面にも不安を抱えていたようである。

一方で、周囲からは「うーやん」「うっちー」などと呼び親しまれ、仕事終わりには足繫く銭湯やバーに通い、さらには結婚を真剣に考えた恋愛も経験するなど、逃亡の身とは思えない、それなりに楽しんでいるかのような生活を送っていた。酒癖はあまり良くなかったようで、何軒か常連にしていた店を出禁になっており、出禁を出していない店でも桐島に出す酒の量は決め、それ以上は出さなかったという。


約40年湘南から離れなかったことについて、同じさそり班所属だった宇賀神寿一は逃亡前に桐島と「年1回は会おうよ」と約束していたことを明かしたうえで、鎌倉の銭洗弁天で会うことになっていた最初の約束が諸事情で果たせなかったのを気にして「私が湘南に来ると思って待っていたのかもしれない」と語っている。宇賀神は、発見後桐島との面会を希望していたが果たすことはできなかった。


発見編集

晩年の桐島は胃癌を患っていた。上述の理由により病院にはほとんど通えず病が進行したため、桐島は80代に見えるほど老け込んで痩せており、具合が悪そうにしている姿が目撃されていた。楽しみだったバー通いも、コロナになってからは感染を警戒してぱったりいかなくなったという。体力も衰え、一回着た服は必ず洗濯するほど奇麗好きだった桐島の部屋は、寝る場所がないほど散らかっていた。

2024年1月半ば、桐島は自宅周辺の道端で倒れこんでいるところを通行人に保護され、その後救急車に運ばれ入院した。同月25日、神奈川県の病院に末期がんで入院時に自身が桐島であると語ったことから、警視庁公安部は桐島の身柄を確保。取り調べにおいて、関係者しか知りえない情報と共に、一部容疑(韓国産業経済研究所爆破事件への関与)を否認する供述や、「最期は本名で迎えたかった」という想いを述べた。事件に関わったことについて尋ねられたところ「後悔している」とコメントしている。

しかし、取り調べ中に意識を失うなど容体は深刻で、到底病院から離れられる状態ではなかったことから警察は逮捕をせず、病院で身柄を確保して取り調べを進めることを決定した。ほどなくして危篤状態となり、同月29日に死去。桐島のDNAが残っていないことから本人確認が難航を極め、存命中に結論が出ることは無かったが、桐島の親族のDNAをサンプルにしたDNA鑑定を経て翌2月27日に桐島本人と断定され、葬式は偽名のまま行われ荼毘に付された。

桐島の親戚は、地元では警察や公安に目をつけられていたこともあって腫れ物に触るような扱いを受けており、中には失職した嫌がらせに遭った者もいたためか、その元となった桐島の遺骨の受け取りを拒否しており、鎌倉市が保管している。


反響編集

桐島は50年近くに渡る逃亡生活の間に指名手配ポスターが全国のいたるところに掲示され、しかも重犯罪の容疑者らしからぬ半笑いであることから犯罪者の中でも世代を問わず高い知名度を誇っていた。しかし、半ば桐島の発見については絶望視されており、ほとんど「そんな人もいたね」という包帯であっただけに桐島の発見、それも余命いくばくもない本人の意思で名乗り出るという事態は大々的に報じられ、同時に堂々と一般社会に溶け込んで暮らしていたという、およそ逃亡のイメージとはかけはなれた暮らしぶりは衝撃を与えた。

騒音トラブルで警察を呼ばれた際も、加齢により顔つきが変わっていたため気づかれなかったという。


よく指名手配ポスターや警察特番で「犯罪者はすぐ近くに潜んでいるかも?」と語られるが、桐島の逃亡生活はまさにその好例と言えるだろう。


その他編集

  • 発見直後の2月1日、同じく指名手配犯だった暴力団幹部の男が逮捕された。この男は指名手配のポスターで桐島の隣に掲示されており、桐島への関心の高まりと共に目撃情報が増加したことで発見された。ちなみに、常連だった銭湯には彼の指名手配ポスターが貼られていたが、従業員や客の証言では特に警戒するそぶりを見せず、入浴やストレッチを楽しんでいたという。
  • 勝ち逃げと評する声が多かったが、実際には先述の通り制約の多い生活を強いられていた他、死後は遺族に遺骨の引き取りを拒否されており、本当に勝ちと言えるかは意見が分かれる。
  • ネットのおもちゃとしても親しまれていて、クソコラやAIでダンスを踊らせるといった遊びが一時期はやった
  • 桐島はメンバーの中では最年少であり、序列も低かった。また、本人が関わったと見られている事件では死亡者が出なかったことから、法律の専門家からは他の捕らえられたメンバーに下された判決から考えても、比較的短い刑期で済んだのではないかとする意見も多い。

関連項目編集

東アジア反日武装戦線 テロリスト


宮川大輔:指名手配ポスターの顔が似ていると評されていた。

ネットのおもちゃ みんなのおもちゃ:上記のその他を参照

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