概要
わかりやすく言うと
「煩悩に悩み、苦しんでいる人ほど悟りへの道は近い」
という教えである。
原始の仏教において、煩悩は滅することが主題におかれ、それによって初めて悟りの境地が得られるとされていた。
だが時代を経ると、世の全ての人々は欲求を持って生活せざるを得ないため、煩悩は完全には滅することができず、むしろそれができるとすること自体が、思い上がりだと考えられるようになっていった。
それでいて、煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心(菩提心)も生まれると考えられるようになり、つまりこの用語は自身の煩悩に本気で悩み、本気で苦しんだ人だけが、行(修行)や方便に「本気」で取り組み、自ら変化していくことができるということを示しているとされる。
浄土宗の仏僧で、浄土真宗の事実上開祖とされる親鸞が、「善人でも救われるのだから、悪人が救われないはずがあるだろうか」と説いた『悪人正機』も、この言葉と同様に、自身の過ちに「深く悩み続けている人」「長く辛い思いをしてきて、なんとかそこから逃れたいと思っている人」ほど、仏教の学びは進みやすいということを示しているとされる。