背景
1950年代の世界はアメリカ合衆国を筆頭とする民主主義・資本主義の西側陣営とソ連を筆頭とする共産主義・社会主義の東側陣営に分かれ対立する「冷戦」の時代にあった。
米ソ両国は原子力による核兵器開発やミサイル開発で競い合ってしのぎを削り、互いに牽制し合っていた。もしも両国が戦闘に陥って戦争となれば「核戦争」になると恐れられていた。
1959年。アメリカの裏庭のカリブ海に浮かぶキューバは独裁的な親米派のバティスタ政権であったが、フィデル・カストロがチェ・ゲバラとともに政権を打倒し、反米・親ソ的な共産主義国家を宣言する「キューバ革命」を起こした。アメリカは隣国が共産化したことに衝撃を受け、両国は対立関係となった。
アメリカ合衆国大統領がドワイト・D・アイゼンハワーからジョン・F・ケネディに代わり、ケネディはカストロ政権打倒計画を極秘裏に練った。
発生
1962年。キューバはアメリカの攻撃に備えてソ連に武器を求め、ソ連首相のニキータ・フルシチョフはアメリカとの国際的な軍事均衡の主導権を手にするため核弾頭搭載型中距離大陸間弾道ミサイル(ICBM)の配備を決定。7月からキューバにミサイルや必要物資を送り、9月でミサイル42基、核弾頭150発、ソ連兵約3万人が配置された。
10月14日にアメリカは高高度偵察機U-2によってキューバに建設中のミサイル基地を発見。ケネディ大統領はキューバ近海の海上封鎖とキューバを目指すソ連籍貨物船への臨検を決定。16日にケネディはNATOやOASに説明して支持を得て、18日にソ連外相とホワイトハウスで会談してミサイル撤去を求めた。
19日にアメリカは同盟国政府にミサイルを撮影した写真を公開し、22日にケネディは全国テレビ演説でキューバのミサイルを国民に公表。この時にアメリカ軍は準戦時態勢デフコンレベルを3に設定し、国内の核ミサイルを発射準備態勢に置き、日本・トルコ・イギリスの駐留米軍を臨戦態勢とし、核爆弾を搭載したB-52爆撃機や核ミサイル搭載原子力潜水艦をソ連周辺に向かわせた。
25日に国連安保理会議でアメリカ国連大使がソ連国連大使にミサイルの写真を見せて撤去を求めたが、ソ連側はこれをはぐらかした。
戦争準備をすするアメリカだったが、ケネディは先制攻撃を迫る軍部首脳を抑えて平和的解決に必死であった。一方のフルシチョフもあくまで軍事均衡を動かすために核ミサイルを利用したまでで、使うことは躊躇っていた。
危機
26日にデフコンが2に引き上げられた時、ソ連はアメリカにキューバ侵攻をしなければミサイルを撤去すると提案を伝えたが、27日に提案をトルコの米軍核ミサイル撤去に変更。アメリカ側は受け入れがたい要求に困ったが、同日昼頃にキューバ上空を飛行中のU-2がソ連の地対空ミサイルによって撃墜され、さらに核魚雷を搭載したソ連潜水艦に米海軍艦船が爆雷を投下し、潜水艦は核魚雷で応戦しそうになった。
この日は「暗黒の土曜日」と呼ばれ、ケネディをはじめホワイトハウスの誰もが世界の終末を覚悟して青ざめたと言われる。
事件公表以来、国民の多くはマスコミの極端な報道によって、核戦争を恐れて買い溜めに走って大混乱になった。
解決・影響
28日。フルシチョフは突然ミサイル撤去を発表。これを受け、ケネディはキューバ侵攻をしないことを約束し、トルコの核ミサイルを撤去した。対立国であった米ソはこれを機に、危機回避のための直接対話のホットラインを設置した。一方のカストロ議長はこの頭越しの決定に憤慨し、ソ連はカストロと距離を置くようになった。その後、ケネディはダラスで暗殺され、フルシチョフは失脚して首相を更迭された。核戦争の危機は回避されたものの、ベトナム戦争が始まり、冷戦は新たな段階に進んだ。
真相
撤去の理由
なぜフルシチョフはミサイルを撤去したのか?
有名な話では、KGBがケネディが教会で礼拝した後にテレビ演説をしようとしていると情報を掴み、アメリカ大統領は教会で礼拝した後に開戦を発表するという前例から、ケネディもテレビ演説で開戦を発表して攻撃を実行すると推測。この憶測を聞いたソ連首脳はアメリカが本気であると狼狽してミサイル撤去を決めたというもの。これは現在ではデマ話として知られ、当時も不確実な情報が飛び交っていた。後述するが、フルシチョフも本気で戦争する気は無かった。
まとめると、明確なきっかけによって撤去したわけではなく、地道なギリギリの交渉の末の結果にフルシチョフが決断したことになる。
核戦争の可能性
もしもどこかで何かが違っていれば、本当に核戦争となって第三次世界大戦が起こっていたか?
当時のアメリカの核兵器保有数が5000発に対してソ連は300発と歴然の差で、当時の科学技術水準ではミサイルの飛距離も本国から敵国領土に直接到達するほどではなかった。だからこそソ連はキューバに、アメリカはトルコにミサイルを配備していた。
もしも開戦となって核ミサイルを使っても、ソ連側はすぐに使い果たし、アメリカよりもソ連の打撃が大きいとされる。そしてフルシチョフはミサイルを使い果たせばヨーロッパを主戦場に通常兵器での戦いに移ると見ていた。第二次世界大戦における独ソ戦の一つ、スターリングラードの攻防戦で指揮をしていたフルシチョフはドイツ軍との苦戦を覚えており、同じ徹を踏むことを恐れていた。
フルシチョフはミサイルを外交カードに使っただけで本当に戦闘攻撃に使う気はなく、アメリカがキューバ侵攻を諦めてトルコの核ミサイルを撤去でき、国際的軍事均衡を少しでもソ連に有利になるよう変えたただけでも、満足のいく成果としてみていた。