鬼怒
- 関東地方を流れる川。 → 鬼怒川
- 1.に由来する旧日本海軍の軽巡洋艦。
- 2.を擬人化したブラウザゲーム『艦隊これくしょん』の艦娘。
- RPG『天外魔境Ⅱ』のヒロイン絹 が、あるイベント後に使えるようになる奥義。ちなみに、そのイベントにて本人が「自分の名前の本当の意味」と語っている。
本項では2と3について解説する。
図鑑データ
よし、概要を見せたげる!
「パナイ島だけはマジパナい!!」
軽巡娘としての性能は並だが、耐久が少し低い。しかし改になると急激に対潜値が上がるため、対潜要員として大いに活躍してくれることだろう。改造Lvも平均20に対して17と低めなのもグッド!
同性能の軽巡に阿武隈がいる。
ただし、彼女はこう見えても阿武隈に並ぶレア軽巡である。
ドロップは早くて3-1ボス、もしくは4-1ボスor左上。その後の入手の機会も4-xのボスドロップ位しかなく難しい。運良く建造でゲットできたら、活用を検討してみよう。
建造で狙うならレア駆逐狙いのレシピがオススメ。しかし、人によってはレアリティが上であるはずの阿武隈ばかり出て、鬼怒が全く出ないという人もちらほら…
そういう時はイベント海域で狙うのも一考である。
容姿、よし、万全だね!
鈍い赤色のボブヘアーに橙色の瞳。
服装や艤装は由良や阿武隈と一緒で両腕と腰の両側(バックパック艤装下部)に単装砲を一門づつの計四門備え、薄緑と白のセーラー服を着用し、足にはブーツを履いている。
また、五十鈴や名取と引けを取らないほど、なかなかの巨乳の持ち主であることが、中破時の絵から伺える。
ただ、軽巡は普通に巨乳激戦区であるため、話題にはなりにくい…
性格を見つつ、臨機応変に、行くよ!
活気あふれる元気な娘。お姉ちゃんのスポーティーな部分も受け継いでおり、一に訓練・二に訓練と訓練大好きっ子である。というのも、史実の鬼怒は長良型の中で一番高出力(公試成績では)であったためである。もっとも5500t級という括りだと一番高出力なのはあの夜戦バカなのだが。
ギャグのセンスは残念らしく、図鑑内での解説では「パナイ島はマジパナい!!」と寒いギャグを言っているが、当の本人はそのパナイ島でシャレにならないような攻撃を受けて撃沈している(後述)。
なので、彼女のためにも笑ってあげてください。
もっとも公式4コマの節分回の時伊勢から「絶対ウケる」という事で
「おにおこ」ネタを披露したが、駆逐艦の子達にはウケなかった。
「だから嫌だって言ったじゃないですかー!」
提督との関係は非常に良好。素直に懐いているだけでなく、提督とは訓練を通して同じ時間を共有したいという願望が見受けられる。また、提督の顔を見て機嫌良くしたり、一緒にいてつい鼻歌を歌ってしまうなど、その姿は端からから見れば恋する少女そのものである。
ただしその気はあるようだが素直に好意を示すことはなく、訓練を理由にしないと行けないなど、かなり不器用で素直ではない面が目立つ。
そんな彼女は提督LOVE勢の一人と考えられている。なお、ケッコン時のセリフはかなり甘酸っぱい。
また、公式4コマでは史実の太平洋戦争で鬼怒が二水戦旗艦を務めていた際、彼女の配下にいた事と三水戦の川内があの残念な有様なためか吹雪達に「先輩」として慕われている。
コロンビア
彼女の両腕をふり上げたその姿勢がかのコロンビアを思わせるためか、ファンの間で定着した愛称はコロンビア。最近になって二号が登場し、コロンビアの座を追われそうになってる。また、表情こそ普通だが、なんとなくプンプン怒ってる感じもするので、おこおこ言われていたりもする。
さらに、MS-IMEで「きぬ」→「鬼怒」と一発変換できないことに引っ掛けて「おにおこ」と呼ばれる事もある。
これは鬼のように怒っている様を茶化して言ったり、怒っていること茶化して「おこなの?」などと呼ばれてもいる。もはや一種のスラングである。前述の公式4コマでも見事にネタにされてしまった。
流石に「おキヌちゃん」とかは言われてない…とか思ってたらそのおキヌちゃんの生みの親が呼んでたよ!!
節分
名前に「鬼」が入っているため、節分の時期にネタにされやすい。
コロンビア以外の話題が少ない鬼怒にとっては貴重なネタではあるが…
ただ、主に鬼としてネタにされるため、あちこちで豆をぶつけられたり等
あまりいい目には会わないようである。
おまけに2014年も2015年も節分限定ボイスは追加されなかった。
来年に期待したい所である。
軽巡洋艦「鬼怒」
5500トン型軽巡洋艦の長良型の6番艦として1922年11月に神戸川崎造船所にて建造される。
その後は第2艦隊第5戦隊や第1艦隊第3戦隊、第2艦隊第2水雷戦隊に駆逐艦隊の嚮導艦として配置され、潜水戦隊の旗艦も務めた。
呉式二号二型射出機(艦橋格納庫から繋がる滑走台の強化版)の実験モデルとしても使用され、鬼怒で運用テストされたこの水偵射出機は後に単体の射出機である呉式二号三型改一として実用化され5500トン型軽巡各艦に装備される事となる。また、鬼怒と阿武隈はその上位版である二号五型射出機も搭載した記録が残っている珍しい艦でもある。(他の艦は二号三型止まりだった可能性が高い。)
1944年、数度に分けて対空兵装の強化改装が行われ、5番主砲の撤去、7番主砲の撤去と跡に12.7cm連装高角砲を配備、水偵射出機の撤去と共に25mm三連装機銃を配備、25mm機銃を三連装・連装・単装各種の多数設置などが行われた。
なお、鬼怒への酸素魚雷搭載については計画自体はあったものの魚雷発射管の換装や改造も行われず、戦没まで九〇式空気魚雷を使用し続けていた。
5月末から6月にかけて渾作戦に参加。渾作戦は成果無く終わる。
10月18日、捷一号作戦により栗田艦隊とともにリンガ泊地から出撃し、途中のブルネイでレイテ島への兵員輸送に従事するため重巡洋艦「青葉」、駆逐艦「浦波」からなる第16戦隊と共にマニラへ向うが、その途中で青葉がアメリカ軍の潜水艦ブリームの雷撃により損傷。鬼怒は航行不能となった青葉を曳航してマニラに到着した。
その後は浦波と共にミンダナオ島カガヤンからの歩兵第41連隊340名を乗せ兵員輸送を開始。無事にレイテ島オルモックに送り届けるものの、その帰りにパナイ島とマスバテ島の間に達した頃からアメリカ第7艦隊の護衛空母搭載機による攻撃を受け、まず浦波が沈没。続いて鬼怒も航行不能となり、1944年10月26日17時30分頃に沈没した。
後続の兵員輸送艦が2隻の生存者を救助し、輸送艦第9号が鬼怒乗組員129名、輸送艦第10号が第16戦隊司令官左近允尚正中将以下350名以上を救助した。