日本のオタクの間では空条承太郎のモデルであることでも有名である。
ついでに空豆クリキントンのモデルでもある。
人物
サンフランシスコ出身。1930年5月31日生。身長193cm。
本名はクリントン・イーストウッド・Jr。スコットランド、アイルランド、ドイツ、イングランドの4か国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃の生活は世界恐慌の煽りを受け苦しかった。
朝鮮戦争時に2年間陸軍に入隊しており、「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」や「グラン・トリノ」の主人公役の設定に盛り込まれている。(ただし、映画の主人公は戦場へ従軍していたが、イーストウッド自身は戦場へ行ってない。)
『おっと。考えは判っている。俺がもう六発撃ったか、未だ五発か。・・・。』
1930年、サンフランシスコ生まれ。ロサンゼルスシティ・カレッジの演劇コースで演技を学ぶ。
1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶも、当初はB級映画の端役しか与えられないという不遇の時代を過ごした。しかし、テレビドラマ「ローハイド」に出演した事でブレイク(この時、初来日を果たす)。
そして、マカロニウエスタンの巨匠:セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』に立て続けに主演。これをきっかけに俳優としての評価が上がる。
さらに1972年公開の『ダーティハリー』でアクションスターとしての地位も確立。同シリーズは彼の代表作となる。
1968年には自身の制作会社『マルパソ(日本語に直すと「険しい道」)・カンパニー』
を立ち上げ、1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。
以後、次々に「主演・監督作」を発表。1992年には『許されざる者』で自ら西部劇を監督し、アカデミー賞(監督賞・作品賞)とゴールデングローブ賞を受賞した。
その後も『マディソン郡の橋』や『ミスティック・リバー』といった文芸性の高い作品も手がけ、2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー作品賞・監督賞のダブル受賞を果たす。
2014年に監督した『ジャージー・ボーイズ』の宣伝では、トニー賞の授賞式などにもひょっこり顔を出していた。
本人曰く『グラン・トリノ』をもって、以後は監督業に専念するとの事……だったが、それ以降も結局俳優業をしている。
しかし映画監督としての評価は現在確固たるものとなっており、2014年公開の『アメリカン・スナイパー』はアメリカ公開の戦争映画としては史上最高の興行収入を記録。同時に保守派とリベラル派の間で大論争を巻き起こすなどおおいに話題となった。
2016年に最新監督作『ハドソン川の奇跡』が公開。80代後半にさしかかったが、まだまだ第一線で寡黙かつ饒舌な戦いを続けている。
『泣けるぜ・・・。』
吹き替え
吹き替えは故・山田康雄がほぼ専任。(イーストウッド公認のfix俳優である)
またそれ以前にも夏八木勲、納谷悟朗などが吹き替えていたものを、のちに山田が吹き替え直した作品もある。
山田亡き後は小林清志や野沢那智、瑳川哲郎、納谷悟朗など、様々な人たちが担当している。
作品によっては、放送時にカットされたシーンがありその欠落部分については多田野曜平が追加収録を担当した。
『楽にあの世まで行けるんだ、運が良けりゃぁな。さあ、どうする?』
出演作品
ダーティハリーシリーズ
ペイルライダー(監督兼主演作)