西王母
せいおうぼまたはさいおうぼ
- 中国で古くから信仰された女仙、女神。
- 上記を題材にした能の演目の一つ。
中国の神仙「西王母」
天界の女王にして女仙の主。不老不死の果実(仙薬)を管理しており、
崑崙山に住むという(實吉達郎『中国の鬼神』)。
道教の世界では美しい女神として表わされる。
しかしかつては、豹の尾に虎の牙を持ち百獣も逃げ惑う咆哮をあげるおそろしい姿とされた。
その権能も疫病と刑罰を司るとされたが、
後世には理想化されて、人の生命を救い長寿を与える神とされた(『中国の鬼神』)。
信仰
西王母が登場する初期文献『山海経』では上記の通り半人半獣の恐ろしい姿をしている。
乱れた髪に玉の勝(髪飾り)を刺しているという。西王母には大鶩、小鶩、青鳥という三体の鳥が仕え、彼女のために食べ物を運んでくる役目を担う。
彼女が司る刑罰は「五残」と表記される。内訳は墨(罪人の入墨)・劓(鼻をそぎ落とす)・剕(足を切断する)・宮(性器を切り取る)・太辟(死刑)という凄惨なもの。
史記には五残星という星についての言及があり、これは災いを表すとも言う。
このように人々に降りかかる凶事を司る荒ぶる異形の女神であったが、道教の信仰体系に取り入れられた事で「仙女」としての性質を帯び、やがて全ての女性の仙人の頂点に立つ母神とされた。
彼女と同じく山海経に登場した九天玄女も仙女化され、『雲笈七籤』で西王母の高位の弟子とされている。
ちなみに男性仙人を統括するのは「東王父」という、彼女と対となる名を持つ神である。
西王母は紀元前4~3世紀の『荘子』において既に仙人として認識されており、仙道の女尊としてもかなりの古層に属する。
道教寺院で祀られる西王母の神像は美しい仙女形に作られる。描写される外見年齢は壮年から老年であることも多い。
伝説
羿と嫦娥
かつて二つもあった太陽の一方を射落として世界に昼と夜を与えた羿という英雄がいた。
羿は天の神であり嫦娥という天女を妻としていたが、太陽を射たことで天界を追放される。
おまけに羿は洛水の女神と不倫をした為、夫婦仲はすっかり悪くなってしまった。
さらにこのまま地上で一生を終えると、死者として黄泉の国行きである。
羿は不老不死の仙薬を求めて苦労して崑崙山に登り、西王母に拝謁した。
西王母はこの英雄が人として死ぬ運命にあることに同情し、
「嫦娥と二人分の不老不死の仙薬を与える。一人で飲めば天に戻ることもできる」と答えた。
さて羿は、吉日を選んで二人で飲もうと嫦娥に仙薬を預ける。
しかし天女に戻りたかった嫦娥は、一人で仙薬を飲み干して月へと逃げ去ってしまった。
――(『中国の鬼神』より)
二人のエピソードは『淮南子』などに収録されている。
君主たちとの謁見
周朝の第5代王である穆王は西方深くに立ち入り、そこにある崑崙山で西王母に会ったという(『穆天子伝』)。前漢の7代目皇帝である武帝が山河で祭儀を行うと使者を使わし、やがて自ら彼の前に現れ、仙桃を授けたとされる(『漢武故事』『漢帝武内伝』)。
穆王の説話は日本で能の演目としてリメイクされた。