現在の永久欠番の選手。
※黒沢は1947年のシーズン中、腸チフスを発病し6月23日に急死(享年33)。また沢村は1944年に戦死。二人が1947年に日本野球界初の永久欠番に指定。
※1981年にリーグ優勝の胴上げの時に着ていたユニフォームの背番号が100番。
※77番は2018年3月19日に星野仙一さんお別れ会にて三木谷浩史球団会長兼オーナーより永久欠番になることを発表。
※チーム在籍中の2000年10月13日に31歳の若さで死去したため、以後、つける選手がおらず、球団も将来的に永久欠番にすることを示唆している。
独立リーグ
※森は2017年、西武コーチ在任中に急逝後制定。
※梶田は四国アイランドリーグplus発足時の選手で最後まで残り、実働10年。
※山川と向谷は初めて2016年のドラフト会議で育成選手指名されプロ野球入り(山川は巨人、向谷は楽天に入団)。薬師神は2017年シーズン中に急逝。山崎はチーム創設以来指導に携わり功績により制定。田中耀飛は2017年にリーグ史上初の支配下登録枠で楽天に指名されプロ野球入り。
アマチュア野球
野球日本代表(日米大学野球選手権大会)
※早稲田大学の三塁手。1972年の第1回大会で送球を頭部に受けて急死。早稲田大学野球部(東京六大学野球連盟)でも、東門の背番号9を永久欠番とした。
2016年に同学の特別招聘教授に就任し、同年9月21日の秋季リーグ戦(対東洋大学)にて始球式を務めたことによる。38は「宮(ミヤ)家」にちなむ。
その他
※中日ドラゴンズ、台湾プロ野球で活躍。後に許銘傑(元西武・オリックス所属)、羅嘉仁らが使用したこともある。(現在は日本に帰化)