概要
1978年の開港から2004年までは新東京国際空港と称した。
反対運動
成田空港を語るには避けて通れない暗い負の歴史がある
空港の建設地に選ばれた三里塚周辺は、戦後になってようやく自分の土地で耕作することが出来るようになった農家が多かった。そのため建設地の選定に際し、「先祖代々の土地ではないから、容易に手放すだろう」とタカをくくった節もあったのである。
しかしながら、予想外にも地元農民は猛反発、「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成した。
大規模な反対運動が巻き起こったが、それに対し空港公団(国)側が公権力を駆使した土地の強制収用を示唆したこと、また新左翼の活動が活発な時代だったこともあり、1967年に羽田闘争において機動隊と衝突した全学連の学生を見た反対派の指導者が新左翼の受け入れを表明。これに乗じた中核派をはじめとする過激派集団が成田入りし、代執行に際しては学生運動の衰退によって勢いをなくした学生たちが勢力挽回を目論み反対運動に参加して事実上の大暴動に発展、事態は完全に泥沼化して長年に亘り(時に反対派同士で)流血を伴う凶悪な事件が発生するなど、現在に至る深い禍根を残すことになった。
暴徒と化した彼らは現地に於いて、空港公団や全国から送り込まれた機動隊と衝突を繰り返したのである。その様子は、まるで戦国時代を思わせる凄惨な有様だった。
1971年2月22日に開始された第一次土地収用強制代執行において、農民は地下壕や団結砦に立て篭もり、過激派は火炎瓶や人糞を袋に詰めた「黄金爆弾」を機動隊に投げつけるなど執拗に抵抗を行うが、対する空港公団も反対派が体を縛り付けている木や鉄塔を反対派の農民ごとクレーンを使って倒すという容赦のない土地収用を強行した。
ちなみにこの時マスコミ世論は反対派側についており、テレビ局の車を使って機動隊を妨害した他、空港建設のために派遣された業者が投石用の石を提供したり、町の酒屋が火炎瓶に用いるための空き瓶を渡すなど、第三者の支援も空港建設の妨げになっていた。
同年9月16日に第二次強制代執行が開始されたが、開始直後に後方支援のために応援派遣された神奈川県警特別機動隊を過激派学生の集団が襲撃した東峰十字路事件が発生。大隊長含む80名以上がリンチにより重軽傷を負った他、孤立した一個小隊30人が200人を越す過激派から執拗な攻撃を受けほぼ壊滅、逃げ遅れた小隊長ら3名が火炎瓶を投げつけられた上に全身を滅多打ちにされ惨殺された。しかし、空港公団及び千葉県警は代執行を強行し、20日に作業をしないと発表し支援学生が帰京した隙に農民の老婆が住む民家を撤去し、第二次代執行は終了した。
機動隊惨殺をきっかけに、それまで反対派寄りだったマスコミが一斉に政府側に寝返った上に、反対運動の経緯からそれまで反対派に同情していた警察も地元農民に敵意を剥き出しにし、農民だけでなくその子供たち(農家の子供らも機動隊や公団への妨害に参加していた)にも罵声を浴びせるなど、自体はさらに泥沼化の一途を辿った。世間から指弾を受けるようになった農民は土地の受け渡しに応じるなど反対運動から離れるようになったが、そうした農家は反対同盟から「脱落」の烙印を押され、畑を荒らされたり村八分同様の扱いを受けるなどした。農民が運動を離れると新左翼各派が運動を牛耳るようになった。
東峰十字路事件の他にも、赤十字マークの入ったゼッケンをつけ(※1)闘争の最前線にいた「非戦闘員」の青年が死亡し、「機動隊が催涙ガス銃を水平撃ちしたことによる銃殺」(※2)を主張する反対派により交番が襲われ警察官が殺害されたり、反対派から自殺者が出るなど、複数の死者を出した。
開港直前には管制塔が占拠されて設備が破壊され(管制塔襲撃事件)開港が延期された他、空港へのアクセスを担う京成電鉄のスカイライナー放火事件が発生、開港後も国鉄の航空燃料輸送列車が焼き討ちに遭うなど、関連施設や人物への妨害・襲撃事件が絶えなかった。
1985年に起きた10.20成田現地闘争における中核派と警視庁機動隊の大規模衝突を最後に死者、負傷者が出るほどの闘争は起きていない。が、空港公団関係者が中核派に襲われるなどの事件は平成初期まで続いた。
その影響は非常に大きく、空港内は事実上関係者と利用客以外の立ち入り制限は長く続き、検問所に於ける入場者の身分チェックは近年まで続けられた。
現在も反対派による抗議デモは起きている他、惨劇が起きた東峰十字路など空港周辺は警察官が警備のために駐在している。
三里塚・芝山連合空港反対同盟は現在も存続しなおも廃港を主張しているが、完全に新左翼と成り下がっており、近年問題にある沖縄辺野古の米軍基地反対などにも首を突っ込んでいる。
※1……赤十字マークの着用は日本赤十字社と許可を受けた者しか認められておらず、立派な違法行為である。
※2……警察側の主張は「別の反対派の投石による同士討ち」。ちなみにガス銃は本来は水平撃ちが禁止されているが、この闘争における使用は鉄パイプや火炎瓶など殺傷性の高い武器を持った者に対してであり、違法ではない。
構成
旅客用ターミナルは第一~第三ターミナルの3つがある。
第一ターミナル
初期に開業したターミナル。
北ウイングは主にスカイチームに加盟する航空会社が使用している。
南ウイングは主にスターアライアンスに加盟する航空会社が使用している。
国内の航空会社ではANAが使用している。
第二ターミナル
1992年に増設されたターミナル。
主にワンワールドに加盟する航空会社が使用している。
国内の航空会社ではJALが使用している。
また本空港発着の国内線も主にこちらから発着する。
かつてはLCCの多くがこちらから発着していたが、一部を除いてそれらは第三ターミナルに移っている。
第三ターミナル
2015年に第二ターミナルに隣接して設置された、LCC専用のターミナル(ジェットスター、バニラエアなど。ただしPeachは第一ターミナル発着)。
LCC用ターミナルという事で、ラウンジがない代わりに24時間営業のフードコートがある(店舗は夜間営業休止)、出発・到着客が同じフロアを通行したり少数のスタッフがあちこちに移動してしまったりするので床が陸上トラックのように色分けされている、などの特徴を持つ。
貨物地区
貨物を取り扱う場所。成田空港は鮮魚の取扱金額がどの漁港よりも大きいため、成田漁港の異名を取る。
ビジネス機用スポット
国内の空港で初めてのビジネス機専用スポット。
エアポートレストハウス
成田空港敷地内にあるホテル。
長らく同空港敷地内唯一のホテルであった(現在は第二ターミナルビル内にカプセルホテルがテナントとして出店したため、"唯一"では無くなった)。
早朝便を利用する事がある場合はここで休息を取ろう。
機内食メーカーが経営を行っているためか食事に関しては一定の評価があり、また「ホテルで機内食を体験する」というプランも実施している。
アクセス
- JR東日本成田線(成田空港線) 成田空港駅(第一ターミナル)/空港第2ビル駅(第二ターミナル)
- 京成電鉄京成本線/成田スカイアクセス線 成田空港駅(第一ターミナル)/空港第2ビル駅(第二ターミナル)
- 京成電鉄東成田線/芝山鉄道線 東成田駅(第二ターミナル:地下通路で空港第2ビル駅に接続されている)
第三ターミナルに関しては、第二ターミナルから連絡通路を歩くか、空港内無料循環バスを利用するとよい。
成田空港あれこれ
Q LCCや長距離国際線などを利用するため深夜~早朝に空港を利用したい。深夜帯で待てる場所はあるの?
→第二ターミナル内にカプセルホテルがあります。
また、敷地内には「エアポートレストハウス」というホテルがあるほか、空港周辺のホテルからも早朝に送迎バスが出ています。
空港で直に待機する場合は、深夜帯には指定の入り口から出入りすることになります。
第三ターミナルを使う場合は、2階のフードコートがラウンジ代わりに使えます。
ただし、夜間はフードコート内の店舗は全部休止していますので念のため。
Q 空港内に24時間営業の店舗はあるの?
→第二ターミナル4階にセブンイレブンが、第三ターミナル2階にローソンがそれぞれ出店しています。ってかこの2店舗しか24時間営業していません(現状では)。
Q なんか駅の改札のところに検問所みたいなのがあるんだけど…
→成田空港はその歴史から、変な人の侵入を「お断りします」するために検問所が設けてありました。
関連リンク
関連タグ
空港建設反対派による反対運動。地元農民の他中核派や全国から集まった学生が参加。
第二次行政代執行の最中に発生した警察官惨殺事件。現場となった東峰地区の交差点には今も慰霊碑が残されている。