概要
国鉄(現JR)は信越本線が碓氷峠を通過するルートをとっており、最大勾配66.7‰という急勾配の難所として有名になった。通過列車は自力で峠を越すことができず、補助機関車を連結していた。
急勾配ゆえに逆行したり、ブレーキが利かずに脱線したりといった事故も発生している。
歴史
1893年(明治26年)4月1日に開通(これにより信越本線が全通)。
当初は非電化でアプト式(ラックレール)蒸気機関車による運転が行われたが、26個のトンネルが続くなど乗務員からの苦情が相次いだ結果国鉄で初めて電化され、ドイツからの輸入機関車EC40型(10000型)や純国産のED42型などが活躍した。
さらに1963年には機関車性能の向上により専用機関車であるEF63形を新製してラック式を廃止、新線を建設してEF63で電車を後押しするという珍しい運行方法がなされた。
機関車連解結のため、特急を含む全ての列車が停車する横川駅では、駅弁「峠の釜めし」が販売され、全国的にも有名な駅弁となった。
しかし、1997年経費削減と輸送量増大による新幹線の建設により、碓氷峠のレールの上を在来線が走る事はなくなった。
尚、長野新幹線(現・北陸新幹線)は、並行在来線がJRから経営分離される初のケースとなり、以後、開業した新幹線は、いずれもこのスタイルを採っている。
中でも碓氷峠は、並行在来線で唯一の廃止区間となった。
他の機関車とは違いが大きい、EF63形式電気機関車を描く方は多く、pixiv内でもリスペクトする方々が多く見受けられる。
また、ラック式時代の美しいレンガアーチ橋や当時の変電所が残ることでも有名で、これらは文化財指定され、横川駅横から熊ノ平まで遊歩道「アプトの道」として整備されている。
今では運転されなくなった機関車たちは、「碓氷峠鉄道文化むら」で動態・静態保存されている。
復活への道
碓氷線が廃線してから20年をたつ時に
安中市は碓氷線の復活へ向けて検討している
車両基地であった所は、現在碓氷峠鉄道文化むらになりその中で、一部碓氷線を使いトロッコ列車を
運転している。これを2017年に軽井沢へ延伸する計画があった。
実現すれば碓氷線はほぼ復活となる。
かつて使っていた碓氷線を再利用にすると良き機会になりそうだ。
2017年現在、線路等は多くが残っているものの雑草等に覆われている状態である。
また窃盗グループにより残っていたケーブル等が盗難の被害にあったり、軽井沢町がトンネル跡を核シェルター化することを検討中とのことで、復活はかなり難しい状況にある。