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ED42

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いーでぃーよんじゅうに

鉄道省および国鉄が碓氷峠急勾配区間用に配属した電気機関車。碓氷峠新線区間(EF63形が配属された区間)開通とともに引退。

概要

鉄道省碓氷峠急勾配区間の補機として使用していたEC40形の置換用に製造・配属した電気機関車で製造は国鉄初期まで行われた。EC40形が輸入品であったのに対し、本形式は国産の機関車である。碓氷峠旧線区間用なので粘着運転(普通の線路)用台車に、ラックレール敷設区間用の歯車を装備している。国産とはいえこの頃の日本はまだ工業技術が未熟だったため、機関車自体が参考用に輸入したED41形の複製品に近いものであった。これには知的財産権を侵害しているとの見方もあり、のちに日本における鉄道交流電化の草創期に、フランスからサンプルとなる電気機関車の輸入を断られる事態へと発展したといわれている。

同区間は構内は安全のため架空電車線方式、急勾配区間はトンネルの拡大工事が当時の技術や運転本数では難しかったため第三軌条方式とした。そのためパンタグラフとコレクターシューの両方を装備している。

この区間の当時の饋電用整流器は回転変流器と呼ばれる三相同期モーターと直流発電機が組み合わさった構造のものであった。後に直流饋電用に多用される水銀整流器やシリコン整流器と異なり、扱える電力が小さく供給できる電圧も約600V程と低い(そもそも第3軌条集電のため600V電化だったが、変流器は直流側端子電圧の上限が1基800V程度で、1500V電化の鉄道では複数個を直列で用いた)一方、その構造上回生ブレーキの電力架線から送電線へと自動で戻すことが可能である(今日の殆どの直流変電所のシリコン整流器でも持っていない機能である)。

そのため後年ED42が改造工事を受けた際に元々装備していた発電ブレーキに加えて回生ブレーキも追設する形で装備していた。モーターは粘着区間用が2基(1基で2軸を駆動)、ラックレール用が1基となっていた。

運転の際は

←軽井沢                  横川→

{ED42}{列車or貨物}{ED42}{ED42}{ED42}

の順に編成しキハ82「白鳥」やキハ57「志賀」などの列車を4機でサポートした。なお本形式は総括制御(1両の制御器で複数の車両の運転を一括して行うこと)ができないため、それぞれの機関車に機関士が乗務し、警笛で合図を送りながら運転したとされ、それには熟練の技術が必要だったと言われている。また運転台は横川方にしかなく、軽井沢方へと向かう下り列車は、運転台後部から微妙に張り出した監視窓から前を覗いていたという。

後に全線架空電車線方式で直流1,500V饋電、粘着運転のみで運行する碓氷峠新線区間が完成して専用補機として造られた強力な電気機関車で「峠のシェルパ」とも呼ばれたEF63形が登場し、1963年に本形式は旧線区間とともに役目を終えた。粘着運転へ切り替えられたあとは、吾妻線羽根尾駅から草津温泉へと至る「草津鉄道」へ、ラックレールなどの設備等とともに転用すべく大宮工場などで保管されていたが、計画の立ち消えとともに保存車として指定された1号機と、小学校などへ払い下げられた5両を除いて解体された。

1967年に1号機が準鉄道記念物に指定されている。

現在、1号機が碓氷峠鉄道文化むら 2号機が軽井沢町内の小学校に静態保存されている。

うち1号機は1987年に、碓氷峠の鉄道電化75周年を記念して、横川機関区内で動態保存されたことがある。このときは直流1500Vでも運転できるよう、ヨ3500形車掌車に抵抗器などを積み込み、600Vへ降圧した上で運転を行った。

pixiv内では本形式のイラストが投稿されており、擬人化イラストは少なめ。

なお、鉄道擬人化コンテンツの路娘MOTIONにおけるキャラクターのひとつである碓氷恋は、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている本形式の1号機がモデルである。

関連タグ

電気機関車 碓氷峠 横軽

鉄道省 国鉄

EF63…後継機

碓氷恋…本形式がモデル

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