概要
益子焼の釜の中に炊き込みご飯が入っている。ちなみに釜は実際に炊飯に使うことができる。
もともと「おぎのや」は、JR信越本線横川駅が1885年の開業以来、碓氷峠越えで補助機関車を連結・開放する時間を利用して駅弁を販売していた。
しかし、駅弁のメニューの陳腐化によって「おぎのや」も販売業績がガタ落ちとなり、当時の経営者がアンケートにあった「温かい駅弁」をヒントに起死回生の一策として、土釜を保温容器として使用する『峠の釜めし』を考案、益子焼の窯元に1人用の土釜を発注して製造を開始、さらに「温かい駅弁」という理念を達成するために横川駅の近くの工場から直接搬入するというチート技も繰り出した。
※益子焼の窯元も需要低下の影響で外回り営業を行った結果、おぎのやと利害が一致し、同社の需要を満たせると判断したことで大口契約を獲得したとのことで、『峠の釜めし』の容器が益子焼となる伝統の始まりとなった。また、当時の群馬県には大規模な生産に応えられる窯元がなく、栃木県の特産品である益子焼となった次第。なお、この大口契約は益子焼の大量生産技術の維持と発展に多大な貢献をしている。
こうして1958年から販売を開始。同駅は北陸新幹線の高崎駅~長野駅間の開業まで碓氷峠を越えるための機関車交換(アプト式時代蒸気機関車→ED42)または補助機関車(粘着運転に切り替え後。EF63)の連結・解放が必要なため停車時間に余裕があったことと、当時としては希少な「温かい駅弁」であったことから人気を博し、数百個用意した峠の釜めしが停車時間中に全部売れてしまうこともたびたびだったという。
1997年に長野新幹線(北陸新幹線)が開業し、碓氷峠区間が廃止され、横川駅に優等列車が発着することもなくなったが、同社は北陸新幹線開業以前からその辺に関して手を打っており、国道18号沿いに『峠の釜めし』を提供するドライブインを開設した他、鉄道に関しても横川駅に限らず軽井沢駅(北陸新幹線・しなの鉄道)、高崎駅、新幹線の車内販売(現在では東京駅・大宮駅での売店販売に変更)に販路を広げ、上信越自動車道横川サービスエリアにも出店するなど、現在も発売当時の姿を変えずに売られている人気駅弁のひとつである。
イメージとして益子焼の釜が挙げられることが多いが現在は益子焼の釜を使った物は割れ易く重いなど欠点も多い為直営店と駅弁大会がメインで各地の駅への出荷分は中身を全く変えずにさとうきびの搾りかすを使ったパルプモールド容器が使われてる。(こちらは土釜より100円安い)