概要
アメリカのゲームメーカー・Atariが1977年9月11日に発売したROMカセット交換式ゲーム機。
前年に発売されたチャンネルF(フェアチャイルド)に続き世界で2番目のカセット交換式ゲーム機となった。
当初は「Video Computer System(VCS)」という名称で販売されていたが、
1982年11月に後継機のAtari5200が発売されたのと同時にAtari2600に改名した。
改名後は本体の色調も変更されており、黒尽くめの外観からダース・ベイダーという愛称が付いた。
発売時の価格は199ドルだったが、1980年末に130ドルに値下げした。Atari5200の発売時は更に100ドルに値下げした。
ゲーム業界で初めてサードパーティー制度を導入したゲーム機でもある。
元々はAtari2600にコピープロテクトが搭載されていないことに目を付けたゲームメーカーが、アタリに無断でAtari2600用ゲームソフトを開発・販売し始めたのが始まりだった。
当然アタリはこれに対して訴訟を起こしたが後に和解し、ソフト売り上げに応じたロイヤリティをアタリに支払う代わりにAtari2600用ソフトの販売を許可した。
真っ先にサードパーティーを導入したことで他社のゲーム機とは比べ物にならないソフトラインナップを揃えたAtari2600の人気は不動の物となり、家庭用ゲーム=Atari2600と言っても過言では無い位の隆盛を誇った。
しかし、コピープロテクトが無いために無断でAtari2600のクローンマシンを作るメーカーも存在しており、それに対して販売を中止させる法的根拠も無いことで悩まされていた。
更にアタリはロイヤリティ目当てに殆ど精査せずにサードパーティーを認可していた。その中にはゲーム開発のノウハウどころかゲームに対する熱意も無いようなメーカーも多かった。
これらのメーカーはクソゲーや海賊版、不良品等を平気で流通させており、
酷いときにはカートリッジが歪んでいて本体に差し込めない物まで売り出していた。
アタリはそんなソフトを開発するメーカーも野放しにしており、管理不徹底なサードパーティー制も後述するアタリショックの一因になったと言えよう。
実はこのゲーム機は日本でも二度発売されている。
一度目は1979年、エポック社が「カセットTVゲーム」の名称で輸入販売を行なった。しかし、57300円という高価格が足を引っ張り、普及しなかった。
二度目は1983年5月に、本体外観を一新した上で「Atari2800」という名称で発売した。この輸出のためにアタリファーイーストという日本支社を新たに立ち上げ、前回よりも格段に安い24800円という価格で発売するという気合の入れっぷりだったが、同年にはファミコンやセガのSG-1000も発売されており、注目を集められなかった。
特徴
本体前面中央にゲームカートリッジを差し込むスロットを内蔵。
電源、難易度切り替え、テレビタイプ(白黒またはカラー)、ゲームセレクティング、リセットをつかさどるレバーを搭載している。
コントローラーはジョイスティック型で赤いボタンが一つ付いており、右手でスティックを、左手でボタンを操作する。
スペック
CPUにモステクノロジー社製6507(6502の廉価版)を搭載。RAM容量128B、ROM容量は標準で4KBである。これは6507がコストダウンの影響をうけて8KBのメモリしか参照できなかったためである(ただし後期のソフトは特殊技術を使い追加のRAMもしくは8KB-32KBの大容量を実現しているものもある)。
同時発音数は2音しかないため効果音が鳴るとBGMが途切れることも。
画面解像度は一般的に160×192(横が160、縦が192)とされることが多い。
アタリショック
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Atari2600Jr.
アタリショック後、アタリの家庭用ゲーム機部門は改組されアタリコープという新会社になったが、
そのアタリコープは1986年にAtari2600Jr.という据え置きゲーム機を発売した。
ジュニアという名称からも分かるように小型化された廉価版であり、価格は50ドルだった。
最初のAtari2600と合わせて3000万台の売り上げを達成した。
最後の仕事
アタリショック(Video Game Clash 1983)の原因となったAtari2600だが、NES発売までに北米ビデオゲーム市場の再構築の下地を慣らすという重要な役割を果たす。
トイ&ホビーベンダーが死闘を繰り広げた日本と異なり、アメリカではその由来からビデオゲーム機のターゲットがやや高年齢だった。しかしアタリショックにより店頭価格が一気に下落した結果、子供がお小遣い程度で買えるようになった。これにより日本同様の低年齢層まで間口を広げる事になったのである。
1985年、NESが発売され北米市場再生の兆しが見えた。しかし、NESだけでは競争の原理が働かず1983年の再来となりかねない(日本企業の変態性は日本人にしか理解できない)。
Atari2600シリーズが請け負った最後の仕事とは、(セガ上陸までの間)ニンテンドーに対するヒール役をこなすことであった。
Atari VCS
消滅したアタリコープの権利を買収したAtari SA(旧インフォグラム)は、2017年に新ゲーム機を発表した。
当初は「Ataribox」という名称だったが、2018年に正式名称が「Atari VCS」に決定したことを発表した。
Atari VCSという名前は、このAtari2600の旧名が由来である。
この新ゲーム機にはXBOXコントローラーに似た専用ゲームパッドも用意されているが、同時にAtari2600付属コントローラーとほぼ同じ外見のジョイスティックコントローラーも用意されている。
関連タグ
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