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テクノソフトの編集履歴

2021-02-04 02:22:50 バージョン

テクノソフト

てくのそふと

長崎県にかつて存在していたゲームソフト会社。シューティングゲームの『サンダーフォース』シリーズで知られていた。

曖昧さ回避

  1. 大阪市北区のクラレ子会社。
  2. 大阪市中央区のアプリ開発会社。

概要

WORLD OF TECHNOLOGY Tecno Soft

1980年長崎県佐世保市にて市内の商社に勤めていた大園富美男氏が独立してパソコンショップ「佐世保マイコンセンター」として起業し、1982年に現在の社名に変更した。テクノソフトの前期としては同市福石町に存在した。


「佐世保マイコンセンター」時代は自社販売ハードウェアブランドの「Tecno Hard」、ソフトウェア部門の「Tecno Soft」の二つのブランドを展開していた。後にテクノソフトは社名となる。


後に90年代中期に同市勝海町に新社屋を建設後に本社を移転した。旧社屋は老朽化で取り壊されて当時を思わせるものが残っておらず現在では痕跡すら残っていないが、新社屋は後述のトゥエンティ・ワン有限会社(現・イノベーション21ビル株式会社)が引継ぎ・管理している為、建物自体は現存している。(現在ではコナミスポーツクラブやボルダリング施設・医療系事務所が入居するテナントビルとなっている)



いわゆるマイコンブーム時代からビデオゲームを開発・販売していた古参のゲーム会社で、トップビューの全方位スクロール型シューティングゲームサンダーフォース』や、リアルタイムポリゴンを使用した日本初のゲームと言われるレースゲームプラズマライン』、リアルタイム・ステラジーアクションSTG『ヘルツォーク』といった革新的なタイトルをリリースしていった。

初期のマイコンショップ時代では客から持ち込み(投稿)されたゲームソフトを商品化した時期もあったとの事。中には店内の展示PCを使ってプログラミングした強者までいたらしい。


家庭用ゲームへの参入

1989年セガ家庭用ゲーム機メガドライブに参入すると、X68000用STG『サンダーフォースⅡ』の移植版を皮切りに、『ヘルツォーク』をより進化させた『ヘルツォーク・ツヴァイ』、前後方向への撃ち分けと溜め撃ちを導入したファンタジー風STG『エレメンタルマスター』等の人気タイトルを次々に発売。特に『サンダーフォースⅢ』及びその続編となる『サンダーフォースⅣ』では、演出・難易度・音楽の面でメガドライバーの度肝を抜いた。

なんと、メガドライブ参入当時はセガの公式開発ライブラリがテクノソフトとしてはメガドライブの性能を引き出せるシロモノではなかったらしく(※)、なんと開発ライブラリを自社でカスタマイズもしくは自作していたという。特にサウンドドライバ関係はほとんど独自に近いものだったとされる。これを裏付けるエピソードとして後年サンダーフォースⅢ(3DS移植)・サンダーフォースⅣ(SWITCH移植)を手がけたM2が再現性を高める為にFM音源の調整ライブラリを用意していたほどである。これだけの離れ業ができたのは1980年代中盤当時の企業パンフレットの企業コメントで「テクノソフトのスタッフ採用条件は厳しい」と堂々と記していた事から腕の立つ開発スタッフを集めていたとされる。


※…少なくとも当時のセガがサードパーティーに提供した開発ライブラリはテクノソフトでなくともそのままではメガドライブの性能を引き出せなかったとされている。当時テクノソフトはX68000を開発環境にしていた事でメガドライブのソフト開発にそのまま使えると踏んでいた事も大きい。


また、同時に『サンダーフォースAC』や『ハイパーデュエル』といった業務用作品も展開し、前者はスーパーファミコンにもアレンジ移植を果たしている。


変わったものとして、女性スタッフが組んだ自社宣伝アイドル(?)の「テクノソフト・ギャルズクラブ」なるユニットもあった。テクノソフト発売のサントラに収録されているボーカル曲は彼女達である。


ソフトのTVCMも自社制作だったようで、CMナレーションはメガドライブ辺りまでは開発室長であった新井直介氏、『サンダーフォースⅤ』のCMナレーションはなんと作曲担当の九十九百太郎氏だったという。


社名のアルファベット表記は「TecnoSoft」「TechnoSoft」の二種類があるが、混在している為どっちが正式なのかは不明であるが、実は創業者である大園社長が商標登録の際に「TecnoSoft」と綴りを間違えた為に社名ロゴでは日本国内では前者・ゲーム中の表記は後者のクレジット表記が多かった。ちなみにどちらも商標登録されており、後者は海外版のソフトを発売するにあたって登録された。ちなみに海外版・新社屋に掲げられた社名ロゴは「TechnoSoft」表記であった。


熱血親子』でプレイステーションセガサターンに参入し、『リヴァーシオン』や『鋼鉄霊域(スティールダム)』、『ブラストウインド』、『ネオリュード』といったタイトルを次々とリリース。1997年にはファンが待ち焦がれたシリーズ最新作『サンダーフォースV』をリリースした。


衰退そしてテクノソフトの終焉へ

しかし、その後はヒット作に恵まれず、従来とは異なる路線の『マイガーデン』や『風の丘公園にて』等のソフトを細々とリリースするものの、2000年に入る前にゲーム事業から撤退し、スタッフは同じ長崎県や九州で起業したり、他社へと移籍していった。晩期には社員の生活がギリギリな困窮状態にまで陥っていた事もあるらしく、果ては開発機材の一部を放出する事もあったらしい。1999年頃には「テクノソフト倒産」の噂すら流れていた。そして1999年12月に『ネオリュード 刻まれた紋章』が最後になってしまった。法人としてはしばらく存在したようだが、2000年頃には事業としては完全停止した模様。


スタッフの入れ替わりが多々あった為、元開発室室長の新井氏曰く作品によって違う顔ぶれがあるという。元スタッフの話によれば、社風としては大学のサークルの延長的なところがあったと言う者や給料が貰えるゲームの専門学校(スキルアップができた)と評する声もある。更に一部の元社員の話ではメガドライブの頃がテクノソフトの絶頂期だったらしく、本社新社屋移転後の1995年頃から衰退期に入っていたとの事で、『サンダーフォースV』の時点で既にギリギリの経営だったとも。『サンダーフォースⅤ』の段階で既にブームが過ぎてしまったSTG路線すら取り止めてRPGに路線変更まで検討されていた程。少なくともPSで版権作品を手掛け出した頃は自社タイトルを生み出すどころの状態ではなく下請け専門に近いものとなっていたとされる。


その後のテクノソフト作品の扱いの行方

ゲーム会社としてのテクノソフトは現在は消滅しており、トゥエンティ・ワン有限会社がテクノソフトの著作権を引き継いで同社のグッズ販売や過去作のゲームアーカイブスの配信等を行っていた。(ゲームアーカイブスは2016年4月28日に一旦配信終了)


一部での噂としては『サンダーフォースⅥ』の悪評と騒動によりテクノソフト、特にサンダーフォースシリーズの(特に移植・リメイクの)ライセンス交渉は厳しいものとなっていると囁かれた事もある。また、2016年4月には他社からの使用ライセンス申請も終了し、新規申請停止が公式HPにて発表され、ゲームアーカイブスの配信も終了。連絡先はあったが一切それらの質問や問い合わせには応じない旨の衝撃的な断り文が記されていた。この何が起きたのかわからない出来事に「二度とテクノソフトタイトルは現行のゲーム機で過去作含めてリリースされない版権の永久封印なのでは?」と絶望視するファンも少なからずいた。


そしてしばらく沈黙が続いた後、2016年8月末頃にネットの一部で「テクノソフトの屋号からタイトルに至る商標がセガゲームスに移っている」という噂と共に実際にそれが確認できていたが、この時はまだ公式発表されておらずどういった経緯なのかすら全く不明のままであった。


そして、真相は意外な所で明かされる事となる。


テクノソフトの権利はセガゲームスへ

2016年9月17日、東京ゲームショウ2016のセガ3D復刻アーカイブス3の発表の場においてセガがテクノソフト作品の権利を取得した」との発表がなされた(TGS直前に全権利関係の移行は完了した模様)それを踏まえて3D復刻アーカイブス3に『サンダーフォースⅢ』が収録される事も明かされた。


テクノソフトのサイトもリニューアルされ、今後はトゥエンティ・ワン側はセガからのライセンスを受けた形でテクノソフト関連グッズとテクノソフトタイトルのサントラ配信曲を担当していた。このライセンス移行が前述の新規申請停止やゲームアーカイブス配信終了の理由のようである。


2016年11月22日にPSアーカイブスで配信されていたテクノソフトタイトルがセガゲームス名義で再び配信される事となった。


また、リードプロデューサーの下村氏から3D復刻アーカイブス3の成否によっては『サンダーフォースⅣ』、『Ⅴ』や『ヘルツォーク・ツヴァイ』などが(復刻もしくはリメイクとして)リリースされる可能性も示唆している。


『サンダーフォースⅢ』のラインナップ実現にはかつてテクノソフトで開発室室長を務めていた新井直介氏の協力と交渉も関わっている。セガの奥成氏と新井氏の接点ができたのは新井氏が2014年に自身のFacebookでテクノソフトの社長であった故・大園富美男氏が亡くなった事を報告した事だった。大園氏が生前「テクノ(ソフト)のブランドを途絶えさせたくない、引き受けてくれるのはセガさんしかないのではないか」と新井氏に話しており、新井氏がセガの奥成洋輔氏にコンタクトを取って今回の事を持ち掛ける運びとなったようである。この話が来たのは3D復刻アーカイブス2が出る頃で、なおかつセガの組織改編でゴタゴタしている最中であったという。


また、現在のリードプロデューサーである下村氏からはセガでのテクノソフトの担当だった事も明かされている。なお、この商標・権利の取得(移管)は発表の段階ではセガ内部でもごく少数の人間しか知らない話であったという。セガがテクノソフトの知的財産権を持つにはクリアすべきハードルがいくつかあり、それを乗り越えた上で3DS版『サンダーフォースⅢ』がようやく日の目を見たと思われる。


復刻アーカイブス3が発表された時点ではパッケージイラストにモザイクがかかっており、少しずつモザイクがかかっていた部分が明かされていく形で収録作品が紹介されていたが、おそらくはこの権利関係をクリアするまでは『サンダーフォースⅢ』の主役機「STYX」のイラストが公開できなかったと推察される。


ただし、セガは過去にトゥエンティ・ワンからライセンス(注1)を受けて「STG復権プロジェクト」第一弾として『サンダーフォースⅥ』をリリースした際に様々な問題が露呈した。当時の企画立案者が携わったいくつかの作品の裏側における札付きの問題児であり(注2)、「Ⅵ」の開発をどこが担当しているかでさえ不透明な有様(注3)でその出来た結果があまりにも『サンダーフォース』の世界観を軽視した上に企画立案者の私物化的に盛り込んだものが前作の感動どころかシリーズが誇ってきた高いクオリティの世界観をブチ壊しにした有様だった故にシリーズファンからは辛辣を極める批判を占める騒動が起きた(皮肉にもこの騒動が『サンダーフォース』という作品の知名度が上がる要因の一つとなった)。


この出来事から『サンダーフォースⅢ』の復活の話題で「Ⅵ」で起きた悪夢を想起した人も少なからずいたが、3D復刻プロジェクトに関わってきた奥成氏・過去にサードパーティとの窓口におけるテクノソフト担当にあった下村氏・3D復刻シリーズの開発担当のM2という実績ある信頼されたチームを通している事や元テクノソフト関係者の新井氏の登壇による経緯が明瞭になると徐々に不安の声は少なくなっていった。


ただし、TGSでは『サンダーフォースⅥ』について一切触れていない為、セガ並びにテクノソフト関係者の間では相当デリケートな存在となっているのかもしれない。ステージ上では新作についての展望は語られたものの、(『サンダーフォース』の新作などの)直接的な発言はしていない。


3D復刻アーカイブス3では松岡氏と新井氏がスペシャルサンクスとしてスタッフロールにクレジットされている。また、ソフトアイコンは「Ⅲ」の主役機「STYX」が採用されている。


そして二年後の2018年4月14日、セガフェスにおいて『SEGA AGES サンダーフォースⅣ』をプレイアブル出展として発表。2020年には『SEGA AGES サンダーフォースAC』『SEGA AGES ヘルツォーク・ツヴァイ』がニンテンドーSWITCHでリリースされる事となった。


しかしテクノソフトが遺した遺産の全てが蘇ったわけではない。元テクノソフトスタッフの一部は昔話として明かしていなかった裏話をSNS等で語り、これまで封印されていたテクノソフトが培ってきた「テクノの遺伝子」は少しづつ現代ならびに未来に蘇っていくのだろう。(注4)


ヒト/ゲーマーよ、テクノの遺産に祝福を…


脚注

(注1) 一説ではこのライセンス自体が『サンダーフォース』シリーズをアーカイブスとして出す事を前提としてセガ側が権利者から許諾を得たとされている。なお、この時のライセンス関係について公式に明かされているのは「ライセンスを得た」という漠然とした情報しかない。こういった事もあったからか、復刻アーカイブス3発表の場で大まかな経緯を元関係者も交えて語る必要があったと推測される。後に、この最初のライセンス取得は当初は権利元(後述のスタッフ・松岡和江の項目参照)の所在がはっきりしていなかったらしい事から版元へのコンタクトだけでも八方手を尽くした事によって交渉に時間がかかったとされている。


奥成氏によるとWiiバーチャルコンソールが配信される頃にメガドライブタイトルとしてテクノソフトによるメガドライブ作品のバーチャルコンソール配信の為にトゥエンティ・ワンと水面下で交渉したが結局実現できなかったという。『Ⅵ』にまつわる騒動が原因とみる向きもあるが実際のところは不明である。


(注2) 詳しくはリンク先を参照。経歴からしてセガに所属していた時期にかけてその仕事っぷりは滅茶苦茶である。


(注3) 流出したSTG復権プロジェクトのプレゼン書類と思われるものに「ガルチ」という開発会社を押さえていたとあったが、どうやら実際は関わっていないらしく(ただし、ゲームディスクのプログラムの中身にはその会社の名前と関係者の名前があったらしいが関与の実情は不明)、現在でも『サンダーフォースⅥ』を開発したメーカーは噂と諸説入り乱れており明らかになっていない。なお、この作品には版元を除きかつてのテクノソフト関係者は開発どころか監修に一切関わっていない。


(注4) 実はテクノソフトが実質的に開発したものでも、当時の販社との兼ね合いで含まれていない作品がある事が後に明かされている。判明したものではSFCでリリースされたサンダーフォースACの移植「サンダースピリッツ(販売:東芝EMI)」はセガの奥成氏曰く入っていなかったという。また、あまりにも解析作業に手間取る作品は復刻は厳しい可能性があると改めて指摘している。




オフィシャルコンテンツ

かつてCD販売されていたテクノソフト・ゲームミュージックコレクションを各種配信サイトからデジタル配信形式で現在の権利者であるセガの許諾を得て約三年程販売していた。配信楽曲は公式サイトで確認可能で、『サンダーフォース』シリーズを中心とした人気の高い楽曲を配信していたが2019年4月頃に終了している(サントラ販売を引き継いだトゥエンティ・ワンが企業再編された事によるものと推測される)。

また、テクノソフトオフィシャルサイトではグッズ等の通信販売の再開予定とあったが、結局は再開される事はなく、オフィシャルサイトからも通販ページへのリンクは無くなっている。

この為、現在ではサントラはおそらくは全て絶版となってしまった模様。


2019年11月頃にはオフィシャルサイトには接続不可能となっていたが2020年初頭では完全に消滅しており、最後の旧テクノソフト公式のオフィシャルWebコンテンツは姿を消した。


関連企業

スタークルーザー』シリーズ等で知られるゲーム会社。テクノソフトのスタッフが独立して起業した会社で、アルシス時代は同じ長崎県に所在していた。経営悪化により倒産し現在は存在しない。


週刊少年ジャンプ掲載の漫画のゲーム化等で知られる開発会社。テクノソフトがゲーム事業から撤退する際にテクノソフト晩期まで所属していたスタッフの何人かにより設立された。設立当初は同じ長崎県佐世保市だったが、後に福岡県に移転。『パンドラの塔』『WiiFit』で任天堂のタイトルに開発参加している。


主にメガドライブの『サンダーフォース』シリーズ(Ⅱ・Ⅲ)を開発した数人のスタッフが独立して起業した会社。当初はハドソン(正確にはレッド・エンタテインメント)の関連会社で東京は浅草に開発オフィスがあったらしい。PCエンジン用ソフト『ウインズオブサンダー』や『ゲートオブサンダー』をリリースしていたが、後にハドソンから離れた後は任天堂の『マリオパーティ』シリーズを手掛けた。長崎県大村市に所在。


  • トゥエンティ・ワン

テクノソフト解散後に権利を引き継いで保有していた会社(厳密に言うとこの会社の所属である人物の名義でテクノソフト解散後は権利者登録されていた)。会社自体は佐世保市の旧テクノソフト本社ビルだった21スカイビル(現:ikiiki早岐ビル)にあり、テクノソフトブランドを扱っていたものの本業はゲーム会社ではなく、テナント物件・ビル管理会社を運営している会社であった。セガに版権移動後もしばらくセガの許諾を受けてテクノソフトタイトルの楽曲配信や旧サイトを引き続き担当していたが、平成29年7月頃に旧本社ビルの運営元が変わる等の企業再編があったらしく、社名がイノベーション21ビル株式会社に変わってからはそれらの取り扱い業務から終了・撤退している。


セガ・ホールディングスがテクノソフトの知的財産権を持ち、子会社のセガゲームスがテクノソフトタイトルの企画・製造・販売権を持っている。


『3DサンダーフォースⅢ』『SEGA AGES サンダーフォースⅣ』『SEGA AGESサンダーフォースAC』を手掛けた移植技術に定評のある会社。


関連人物

元テクノソフト社長・故人。2014年没。ちなみに「SHIGOTONIN」の名義でスタッフロールに記される事もある。テクノソフトの晩年期の時点で体調を崩していたとされる。新井氏の追悼文や元スタッフの思い出話によると、性格はシャイでちょっと不器用なところがあったという。ただし、完璧主義の面があり鶴の一声で変更した箇所のある作品もあるとされる。こういう事もあってか、後述の外山氏が残した隠しファイルに記述されたものからすると、社員と軋轢が起きた事もあったようである。

元テクノソフト開発室室長。現『インタラクティブラボラトリー』取締役副社長。テクノソフトのスタッフとしてはアルバイト時代からの古参スタッフだった為、大園氏亡き今テクノソフトの歴史を語る上では貴重な生き字引的な人物。元々はマイコンショップ時代の客でそこからアルバイトを経てから大園氏との繋がりが始まっている。「YUNKER MATAI(ゆんけるマタイ)」名義としてスタッフロールに記されている作品もある。現在はインタラクティブラボラトリーでVR技術の開発に携わっている。テクノソフト開発室室長でありながらも実はサウンドスタッフでもあり、メガドライブ用のサウンドライブラリ構築や楽曲を手がけていた。

『プラズマライン』のプログラマー。後にアルシスソフトウェアに移籍してソフトを開発した。深刻な持病に悩まされて一時は職を失う事態になったり後に性同一性障害と身体のごく一部が半陰陽である事をカミングアウトしている。漢字表記はそのままだが、功成の読みは「ことり」に改名している。実はこの人こそ初代サンダーフォースの生みの親である。

テクノソフトで『ヘルツォーク』や『新九玉伝』等のタイトル開発にプログラマーとして従事。かなりぶっちゃけた隠しメッセージをゲーム内に仕込む事で知られている。後にコンパイルライジングエイティングへと移籍しつつSTGの開発に携わった。2019年になってタイトーに所属している事が明らかになった。

『サンダーフォース』シリーズ等の重厚なBGMの作曲を手掛けた。山西氏と九十九氏はテクノソフトから離れた後に所属していたとある会社の所属プロデューサーが企画した二次創作作品『ブロークンサンダー』にまつわる騒動に巻き込まれた事もありその後両者共に独立。一方、九十九氏はフリーのゲーム作曲家として同人作品(インディーゲーム)や商業作品のPSP版『機装猟兵ガンハウンドEX』、PS4版『重装機兵レイノス』(リメイク版)の楽曲を担当している。

元テクノソフトの専務もしくは常務だったらしい。テクノソフト関連の権利が全て彼女の名前で登録されていた事と過去の許諾クレジットに「Twenty-One/K.Matuoka」と併記されていた事から当時のトゥエンティ・ワンの所属だったと思われる。何故大園氏ではなく彼女が諸権利を持っていたのかは不明であるが大園氏が晩年に体調を崩してしまった事でテクノソフトの権利関係を受け継ぎ管理していたとの説がある。『サンダーフォース』シリーズでスタッフクレジットにその名前を見る事ができる。また、『セガ3D復刻アーカイブス3』『SEGA AGES サンダーフォースⅣ』のスペシャルサンクスの項目にその名前が記されている。

元テクノソフト社員。現『株式会社ガンバリオン』代表取締役社長。在籍時は営業職だったが、1999年にテクノソフトのゲーム開発撤退の際に数人のスタッフと共に独立し、ガンバリオンを設立した。


外部リンク

SEGAテクノソフトアーカイブス…PSゲームアーカイブスで配信されているテクノソフトタイトルの紹介。

関連タグ

ゲームメーカー 長崎県 佐世保市

サンダーフォース ハイパーデュエル ブラストウインド マイガーデン 風の丘公園にて


九娯貿易:かつて同じ佐世保市に存在したゲームメーカー。知名度は低いが創業は1965年とテクノソフトよりも古参だった。

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