概要
本名は家入信夫。
元々は林家彦六一門の弟子で林家のぶお→林家九蔵と名乗っていた。林家木久扇(初代・林家木久蔵)は当時の兄弟子にあたり、春風亭小朝は同じく甥弟子に当たる。
1979年、あまりの失言癖から笑点を降板させられた三笑亭夢之助の後釜として笑点メンバーになる。高座着はピンク。
1980年、急逝した4代目三遊亭小圓遊の後釜として加入した古今亭朝次(のち7代目桂才賀)がピンクとなったため九蔵自身は小圓遊がまとっていた水色の高座着を着用する。
1982年、彦六が死去。
1983年、5代目三遊亭圓楽一門に移籍。圓楽の二番弟子として三遊亭好楽を名乗る。ちなみに三遊亭楽太郎(現・6代目円楽)は四番弟子に当たる。
同年10月、移籍後は古典落語の修行のため一旦笑点を降板する(実はこの時本当に仕事が激減してしまい、仕事なし、貧乏のネタはこれから来ているとされる)。
1988年、卒業した才賀と入れ替わりに復帰。この時、かつて着ていた水色の高座着は三遊亭小遊三が着ていたため、才賀加入以前に使用していたピンクの高座着を再び着用する。
6代目三遊亭圓窓以来、夢之助や才賀などの例からピンクの高座着は着用した落語家の出演期間が短いというジンクスがあり、「呪われたピンクの着物」とすら言われていたが、好楽が30年以上出演していることから「平成・令和のラッキーカラー」になったようだ。
主なネタは当たり障りのない優等生タイプが多い反面、「フリーター(仕事なし)」「歌詞忘れ(ラララ~♪)」「貧乏」等、自身の影の薄さを強調するものが多い。
兄弟弟子である木久扇に振ったり(主に雨乞い師や河童)、同年度生でありどこか顔の感じも似ている小遊三と貧乏合戦を繰り広げたり財布を取られたり逮捕したりと、両隣のこの二人との絡みは多い。また、現在同じ一門仲間の6代目円楽とは、楽太郎時代から罵倒合戦が繰り広げられていたが、円楽襲名以降はエスカレートしている。
たまにではあるが桂歌丸司会時代はブラック団よろしく歌丸死亡ネタを言ったり、次期笑点の司会者を狙っているという回答も多い(春風亭昇太の就任後はもっぱら6代目円楽が使っている)ため、3枚以上の座布団をはく奪されることもある。
また、6代目円楽から「好楽一門のギャラは好楽1000円、兼好500円、王楽300円」とネタで言われたこともある。
それ以外にも、いい答えを出したと思った時は2カメに向かってどや顔をする、他メンバーにけなされると「よせよ!」と突っ込む、そうした回答で座布団を獲得されたり逆にとばっちりを受けて獲られたりすると「えー!」や「なんだよ!」と不満を漏らすなど、何かとオーバーなアクションを取ることも多く、そうしたことから不憫な印象も強い面がある。
2代目林家三平加入後は元兄弟子の木久扇から三平とセットで罵倒されることも多い。
九蔵時代、奇遇にも名前が彦六が17歳で亡くした息子の信男と名前の読みが同じだったことから相当可愛がられており、幼くして父を亡くした好楽もまた彦六を慕っていた。晩年、彦六が体調を崩し入院すると毎日のように病院を訪れ、1度危篤状態になった時は「師匠死んじゃ嫌だ!」と泣き、目を覚ました彦六がそれについて「あんなに泣かれたら起きるしかあるめえ」と返したほど。
もっとも彦六からは23回も破門されているがなし崩し的に復帰している。
彦六門下時代は木久扇の弟弟子として「与太郎その2」の若く元気なキャラだったが、圓楽一門に移籍後はメンバーの中で一歩引いたキャラに転換した。
また、復帰当初は司会者であり、師匠でもある圓楽の隣だったが、回答をした後に「師匠どうでしょう?」と気にする様子が見られたため、小遊三と席を入れ替え、以来30年この席順となっている。
実は圓楽司会時代に笑点本番前の楽屋で稽古を付けてもらっていたが、指示通りにいかず圓楽から物凄い剣幕で怒鳴られ、本気で廃業まで考えてしまう事態になった事がある。幸いにも歌丸が仲裁に入り何とか事無きをえたが、この事について6代目円楽は「師匠(5代目圓楽)は怖いんじゃなくて厳しいからね」と語っている。
因みに、漫画SKETDANCEに登場したこともある(どや顔で)。
家族は妻(2020年死去)、長男(三遊亭王楽)、長女(王楽と好楽門下のマネージャー)、次女(雑司ヶ谷で甘味屋を経営)がいる。
2012年には自宅を新築して寄席「池之端しのぶ亭」をオープンさせた。名前の由来はファンであった力士の信夫山、本名が信夫、不忍通りからついた。大喜利ではこの件を師匠である5代目圓楽が私費で建てるも諸事情で閉鎖された寄席「若竹」に引っ掛け、何かと潰されることが多々ある(主に6代目円楽から)。
6代目桂文枝(桂三枝)とは落語界同期入門であり文枝が2021年7月に木久扇の代役で笑点に登場した際に、ネタにしている。
好楽一門
- 三遊亭好太郎
- 三遊亭兼好
- 三遊亭好の助
- 三遊亭好吉
- 三遊亭鯛好
- 三遊亭とむ
- 三遊亭ぽん太
- 三遊亭好志朗
- 三遊亭好青年
前述した息子の王楽は元は五代目圓楽に弟子入りしたため、好楽の弟子ではなく兄弟弟子である。
また、五代目圓楽の死去前に真打昇進が決まっていた事もあり、好楽一門の預かり弟子ではない。(落語界では真打になる前に師匠が死去した場合、別の師匠の門下に移籍する事が多い)
しかし、実子ということもあり一門会にゲスト出演する機会も多く、好楽本人が王楽も一門にカウントしているととあるインタビューにて発言している。
一門は古典落語中心だが、一番弟子の好太郎は新作落語を中心に演じている。ちなみに、好太郎自身は好楽と王楽の遠縁でもある。
兼好は入門前から妻子がおり、3回入門を断られた末に4回目でようやく入門を許可された。
実力も高く、近年はゲストとして落語芸術協会の寄席に出演する事も多い。
好の助はナポレオンズのボナ植木(メガネをかけてる方)の息子。真打昇進に際して好楽が彦六門下時代に名乗っていた「林家九蔵」を3代目として襲名するはずで、前師匠である彦六の遺族や元兄弟子の木久扇の許可も取り付けていたが、直前の直前になって9代目林家正蔵とその母・海老名香葉子が横槍を入れてきたために襲名が中止となり、真打昇進後も好の助の名跡を名乗っている。
鯛好は元々林家たい平門下に見習いとして入門したが落語協会の年齢制限に引っかかったために正式に落語家になれず、たい平の紹介で好楽一門へと入門した。
とむは元々末高斗夢の名前で、小学校低学年レベルのダジャレを次々と披露し、場の空気を凍らせるスベリ芸を得意とするピン芸人として活動していた。時々笑点特大号や地上波の若手大喜利に座布団運びとして出演している。
好青年はスウェーデン人の落語家。好楽にとって10番目の弟子だったので前座名として「じゅうべえ」を授かり、二つ目昇進時に現在の高座名へと改名した。
一門の仲の良さが持ち味でもあり、しのぶ亭の近所の人からはあまりにも和気藹々としているために大学の落語サークルだと思われているらしい。
ちなみに上に挙げた直弟子の門下にいる孫弟子と息子の王楽を含めると、一門は総勢16名。結構な大所帯である。
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6代目桂文枝