概要
1977年6月23日生まれ、滋賀県出身。父も兄も厩務員として働く競馬一家として過ごす。
1996年デビュー。同期に福永祐一・細江純子らがいるが、その「競馬学校・花の12期生」と呼ばれるグループの中で一番最初に重賞を制覇。通算33勝を挙げ、関西の新人騎手賞にあたる中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞。
98年、所属する岩元市三厩舎に入厩してきた馬と、運命の出逢いを果たす。それがテイエムオペラオーである。
岩元調教師の方針もあり、結果的に全レースの手綱を握る事になった和田は、オペラオーとのコンビで99年皐月賞を制し、同年有馬記念でグラスワンダー(的場均騎乗)・スペシャルウィーク(武豊騎乗、同レースが引退レース)とタイム差なしでゴールし2000年古馬戦線へ進出すると、京都記念→阪神大賞典→天皇賞(春)→宝塚記念→京都大賞典→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念、と重賞を8連勝(うちGⅠ5勝)という、当時の古馬中長距離GⅠ完全制覇(と史上初の秋古馬三冠)を、若くして成し遂げた。
しかし、オペラオーが引退すると、勝利数は稼ぐものの、その勢いがフロックであったかのようにGⅠを勝つ事が出来なくなった。2012年のJBCクラシック(川崎競馬場)でワンダーアキュートに騎乗して勝利するものの、中央GⅠでは120連敗という散々なもの。
しかも2018年に入り、師匠である岩元市三調教師が定年で引退、テイエムオペラオーも5月に他界するなど、悲運が続いた。
だが、2018年6月24日に開催された第59回宝塚記念で、和田はミッキーロケットに騎乗。香港年度代表馬ワーザーの猛追を退け優勝。2001年天皇賞(春)を制して以来、17年ぶり悲願のGⅠ制覇となった。勝利騎手インタビューで和田は「(天国の)オペラオーが後押ししてくれた」と語った。
騎乗スタイル・人物
騎乗スタイルは前目につける競馬を得意とする。これは師である岩元調教師が競走馬の脚に負担をかけるとして後ろからの競馬を好まず、普段から前目につけるよう教えていたため(岩元厩舎に瞬発力に優れたサンデーサイレンス系の競走馬があまりいなかったことも一因)。
人気の有無にかかわらずとにかく馬を先行させ、直線早仕掛け気味に追い出して押し切る戦法をとることも多い他、少しでも直線で脚を残せるように距離ロスを無くして馬を運ぶため、道中や直線で思い切り馬群に潜り込む・内ラチ沿いを突くこともある。
馬券師の間では人気馬での勝率が低いことをネタにされる一方、ガンガン追っていくスタイル故にか人気薄の馬やズブい馬を1着または馬券圏内まで持ってくることが多いため、「人気が微妙なときの和田は買っておけ」と言われることもある。
普段は真面目かつ物静かな人物でがとにかく明るい性格で、騎手仲間のムードメーカー的存在。
年2回行われる「ファンと騎手との集い」では、「宴会部長」的な役割を担っており、コスプレやらドッキリやら何でもこなす。
だがそのキャラが裏目に出た。2006年のイベントで和田は、池添謙一・藤岡佑介と共に寝起きドッキリを仕掛けたのだが、武豊に仕掛けた際、実は武・池添・藤岡・福永祐一・柴原央明が仕組んだ「逆ドッキリ」であったことが発覚。もちろん和田はこれに気づかないまままんまと引っ掛かり、あまりの緊張感からネタばらし後に泣いてしまったほどである。
福永によると、「(和田は武豊に)常日頃から異常なほどの恐怖感を感じている人間」らしい。
しかも2017年には、和田から繋がる甥っ子としての立場を利用された岩崎翼も、「恐怖の先輩」川田将雅らによる逆ドッキリにまんまと引っ掛かり、ガチで泣いている。
関連イラスト
17年ぶりのGⅠ勝利に男泣き。テイエムオペラオー(ウマ娘)も祝福。