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菅直人の編集履歴

2022-01-28 00:27:23 バージョン

菅直人

かんなおと

日本国第94代内閣総理大臣。任期中に『東日本大震災』がおこる。

経歴

日本政治家。第94代内閣総理大臣(在任平成22年6月~同23年9月)。

菅直人の菅原道真の菅であり、配管工のではない。東京工業大学出身の理系政治家であり、弁理士の資格を持つ。


昭和21年10月10日山口県宇部市生まれ。本籍地は岡山県

昭和55年に衆議院議員に初当選。厚生大臣民主党代表、同党幹事長財務大臣などを歴任した。

妻は母方の従姉で、長男の菅源太郎は政治運動家(民主党から出馬した事はあったが度重なる落選で民主党の公認を得られなくなったため政治家にはなっていない)。


首相就任以前

1980年に社会市民連合から出馬して初当選。その後は新党さきがけに移籍、第1次橋本内閣で厚生大臣として初入閣。薬害エイズ問題の対応などで知名度を高めたが、O-157集団感染問題の際にはカイワレダイコンが原因であるかのような風評被害を起こしたとして批判され農家から訴訟を起こされ国側の敗訴を招いた。この騒動の際にカイワレダイコンの安全性をアピールする目的で記者会見の場でカイワレダイコンを頬張るパフォーマンスを行った。


鳩山由紀夫の民主党立ち上げに参加し、2000年に幹事長となり2002年には党代表と出世も順調だったが、2004年に自民党の年金未納問題の追求の急先鋒に立った所自身が未納であったことが発覚し党代表を辞任(詳細は後述)。

この際「自分を見つめ直す」としてお遍路スタイルで四国八十八カ所巡りを行った。政権交代後の鳩山内閣では、副総理、経済財政政策相として入閣。後に財務大臣も兼ねた。


内閣総理大臣就任後

前任の鳩山内閣で既に民主党政権の支持率は地に落ちており、菅内閣は低支持率での多難なスタートとなった。2010年9月民主党代表選で小沢一郎を下し代表・総理大臣に就任。俗に言うところの「ご祝儀相場」もあり、これにより内閣支持率は一時大きく回復する(朝日新聞の支持率調査では61%)。


総理大臣就任後に総理大臣官邸で行われた記者会見において、「たとえば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ政治が力を尽くすべきだと、このように考えているからであります。」と表現の自由を擁護する発言をした。


しかし、直後の2010年6月に行われた第22回参議院選挙において、与党は現職の閣僚(千葉景子法務大臣)も落選するなどして過半数割れを起こし、いわゆる「ねじれ」の状態となる。ちなみに、選挙区の得票数と比例代表の得票数の両方で民主党が、自民党を上回っていたが、1人区で民主党が惨敗したケースが目立ち、結果的に獲得議席数は自民党が上回った。なお、前述の千葉景子は、落選したにもかかわらず、菅は民間人として閣僚に留めおき、法務大臣を続投させたため、「救済」として批判を浴びた。2010年9月の民主党総裁選に菅は立候補し、勝利。これを受けての2010年9月17日に内閣を改造し、前述の千葉法相は、この時に離任した。


そして総理在任中の2011年3月11日に東日本大震災福島第一原子力発電所事故が発生した。水素爆発より約30分前の2011年3月15日5:30頃、東電本社に乗り込み幹部陣を前に「撤退は許さないぞ」と叱責。そして話を終えた間もなく同6時過ぎ、水素爆発は起こった。当時は「炉心冷却のために行われていた海水注入が中断されたことが爆発の原因」であるかのような報道がなされ(実際には海水注入は中断されていない)、「海水注入中断は首相官邸が命じた」とする憶測が流れる。さらに、事故発生3日後に現地に赴いたことが混乱の一因であるとの非難も相次ぐなど、菅はマスメディアの総バッシングを受けた。実際には東電内で出された海水注入中断指令に菅直人は一切関わっていないのだが、パフォーマンスが裏目に出た形で矢面に立たされた本人は、後に「東電は官邸に責任転嫁した」と恨み言を述べている。


れまでは地球温暖化防止のためとして原子力の活用を宣言していたが震災後に方針を変え、浜岡原発の運転停止要請、再生可能エネルギー導入などを訴えたが、野党やマスコミから大震災の対応などが槍玉にあげられ、同年夏についに退陣。


首相退任後

2012年の衆議院議員選挙では反原発を訴えたが、小選挙区で落選、比例でやっと当選という屈辱を味わうこととなった。


2013年7月の参議院選挙では、東京選挙区の応援において本来なら党員として公認候補の鈴木寛を応援すべき立場であるにも関わらず非公認候補の大河原雅子(当初は民主党公認予定であったが直前に取り消され無所属扱いになった)ばかりを応援に行き、結果的に両候補の共倒れを招いたことから党内外の批判を浴び、当初は「いかなる処分も受け入れる」と言っていたが、その責任を負って離党するよう党執行部から勧告されるや、途端に掌を返して「受け入れられない」の一点張りで猛反発。結局、党員資格停止3ヶ月の処分に留まっている。

この件で菅は鈴木からかなり恨まれており、後に鈴木は離党し第二次安倍内閣の文科省参与として反対陣営につくこととなる。


余談

  • 温厚そうな見た目とは正反対で非常に短気でキレやすく、些細なことでもすぐに癇癪を起こして怒鳴り散らす性格から、通称は「イラ菅」。この性格のため、仕えにくい人物として部下に嫌われており、あまり人望がない。
  • 2004年に民主党代表を一度辞任した後の経緯から「お遍路」と呼ばれる事もある(ただし、多くの場合は揶揄として言われているので使用の際は注意する事)。
  • 政治活動のスタートは市川房枝の選挙スタッフとしてであった。自身が出馬する際、市川からはカンパと事務スタッフの援助があったのみで、「自分の力だけで闘いなさい」と言い含められていたにもかかわらず、菅はあろうことか彼女の支援者リストを盗み出し、あたかも市川から推薦を受けているかのようにふるまうことで、彼女の支持基盤をそのまま利用するという完全に反則そのものな曲芸をやってのけた。このことから、弟子に裏切られた格好となった市川から「(菅は)信用してはいけない(人物)」と評されていたという。
  • 2010年9月、中国の漁船が尖閣諸島沖で違法操業をしており、これを取り締まろうとした日本の海上保安庁の巡視船と衝突する事件が起こる。菅は、当初、この漁船の船長を国内法に基づいて起訴する方針を取ったが、尖閣諸島を自国領と主張する中国は強く反発し、「閣僚級の交流の中止」「日本人大学生の上海万博招致の中止」「中国のトヨタが賄賂を渡していたとして罰金を科す」などの報復措置を取った。那覇地検は、結局は船長を釈放し、「国外退去処分」という形で帰国させた。船長は中国に帰国した際には英雄扱いとなった。菅は、この釈放を「那覇地検の判断」という態度であったが、国内外の複数のメディアは「地検は起訴に動いていたが、菅首相や仙谷由人官房長官が中心となって、地検に釈放を要求した」と報じている。

安倍晋三発行のメルマガの記述を巡る訴訟

安倍晋三発行の2011年5月20日付のメルマガの記事において「菅直人が海水の注入を中断を指示した」」と書かれた。


これに対し、菅は名誉毀損の裁判を起こした。2015年12月3日、東京地裁は「記事の内容は誤り」と認定し、菅の主張を認めた。一方で安倍の責任については「記事は事故対応の詳細が判明する前に発信されていた上、菅元首相の資質や政治責任を追及するもので公益性があった」等として退けた。


2016年9月29日、東京高裁において控訴が棄却され、地裁判決が確定した。


語録

  • 「一夜を共にしたが、男女の関係は無い」(上記の不倫発覚に際して。)
  • 「テレビの影響で一億総白痴化が進んでいる、だから郵政選挙で自民党が勝った」
  • 「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」
  • 「東電の馬鹿野郎が!」
  • 「政権交代後に自ら幹事長を務めた小沢さんが、政権交代後のことを人ごとのように批判するのは納得できない」
  • 「維新の「役人天国」批判に低所得者層の人達が共鳴し、支持を広げたとの分析が有力。」

関連タグ


  • 菅義偉:すがよしひで。自民党の政治家。姓は同じだが、特に親戚というわけでは無い。もし菅直人が官房長官になっていれば「かん・かんぼうちょうかん」になっていたため実に惜しい。かんだらけ。
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