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尾形藤吉の編集履歴2023/03/29 00:10:29 版
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尾形藤吉

おがたとうきち

日本の騎手、調教師。中央競馬の調教師として歴代1位となる通算1,670勝をあげた。

概要

尾形藤吉(1892年3月2日~1981年9月27日)

日本の騎手調教師

1908年より騎手、1911年より騎手兼調教師、1936年より専業の調教師として活躍。

騎手としては373戦148勝、調教師としては9,390戦1,670勝(八大競走39勝)。

門下から保田隆芳野平祐二松山吉三郎など数多の人材が輩出し、「大尾形」と呼ばれた。

来歴

1892年

3月2日、伊達町(北海道)の大河原栄次郎・キク夫妻の間に誕生(出生名は大河原藤吉)。

1895年

父が死去。

1907年

11月、大叔父の阿部哲三に頼んで新冠御料牧場の馬術見習生となった。

1908年

8月、上京し園田実徳日本競馬会会長)のお抱えの騎手兼調教師を務めていた菅野小次郎に弟子入り。

12月13日、目黒秋季開催3日目、内国産呼馬競走で藤吉はホクエンに初騎乗し、1着同着で騎手として初勝利。

1909年

8月、母方の相続人が早世し、藤吉が尾形に改姓し家名を継ぐこととなった。

1911年

1月、多賀一明治天皇御召馬車御者)のお抱え騎手となり、多賀兄弟のHクラブが所有する祐天寺の厩舎に移る。

5月、目黒競馬場で騎乗中、馬ごと転倒し16日間意識不明となる。多賀の妻が厄払いとして藤吉に改名を勧め、「景造」と名乗ることになった。

1915年

11月27日、優勝内国産馬連合競走多賀半蔵所有のトクホに騎乗し1着。

1916年

多賀一の勧めで梶山甲造の娘・栄子と結婚。Hクラブの運営が難しくなったことから独立を勧められ、厩舎を譲り受けて騎手兼調教師となった。

1918年

4月6日、阪神競馬倶楽部帝室御賞典シンオーミフジに騎乗し1着。

1923年

7月1日、新制競馬法が施行され、15年ぶりに馬券発売が復活。この頃から弟子たちが騎手として活躍しはじめた。

1924年

7月6日、日本レース倶楽部の帝室御賞典でチヱリーダッチェスに騎乗し1着。

11月16日、東京競馬会の帝室御賞典で柴田寛治騎乗のフロラーカツプが1着。

1926年

6月24日、福島競馬倶楽部の帝室御賞典で稲葉秀男騎乗のクヰンフロラーが1着。

11月7日、日本レース倶楽部の帝室御賞典で稲葉秀男騎乗のアスベルが1着。

1927年

4月3日、阪神優勝内国産馬連合競走でアスベルに騎乗し1着。

5月1日、東京競馬会の帝室御賞典で岩佐宗五郎騎乗のアストラルが1着。

11月20日、各内国抽籤濠州産馬混合競走でアストラルに騎乗し1着。

1930年

3月23日、中山四千米競走ハクショウに騎乗し1着。

1932年

4月24日、東京競馬会の第一回東京優駿大競走に管理馬3頭を出走させ、自身もオオツカヤマに騎乗し出走し2着となった。

1933年

府中市東京競馬場が建設され、尾形厩舎も府中へ移った。

1934年

4月22日、東京優駿大競走に管理馬3頭を出走させ、3着までを独占(1着フレーモア、2着テーモア、3着デンコウ)。

5月29日、11の競馬倶楽部帝国競馬協会が統合され、特殊法人「日本競馬会」が成立。「調騎分離」が進められる。

11月23日、目黒記念アカイシダケに騎乗して4着。騎手を引退し調教師専業となった。

1938年

11月23日、保田隆芳騎乗のアステリモアが第一回阪神優駿牝馬で1着。

12月11日、伊藤正四郎騎乗のテツモンが第一回農林省賞典四歳呼馬で1着。

1939年

11月3日、保田隆芳騎乗のテツモンが帝室御賞典(天皇賞(秋))で1着。

1940年

4月7日、保田隆芳騎乗のタイレイ中山四歳牝馬特別で1着。

1941年

12月8日、日本海軍真珠湾攻撃により太平洋戦争勃発。

1943年

5月16日、牝馬クリフジ前田長吉騎乗でデビューし1着。その後、引退まで11勝無敗。東京優駿競走、阪神優駿牝馬、京都農商省賞典四歳呼馬を制した。

1944年

競馬は「能力検定競走」として東京と京都のみの無観客開催となる。アメリカ軍空襲が激しく都会での競馬開催はできなくなり、尾形は競馬会の東北支所で非公式の競馬開催を続けた。

1945年

8月15日、日本がポツダム宣言を受け入れ無条件降伏。尾形は東京に戻り、厩舎の再建を図る。

1946年

10月から競馬が再開された。戸籍名での登録が義務づけられ、本名の尾形藤吉に戻る。

1949年

5月1日、大久保房松厩舎から転厩してきた八木沢勝美騎乗のヤシマドオター桜花賞で1着。

1950年

11月3日、保田隆芳騎乗のヤシマドオターが天皇賞(秋)で1着。

1951年

11月11日、保田隆芳騎乗のハタカゼが天皇賞(秋)で1着。

1952年

4月27日、八木沢勝美騎乗のクリノハナ皐月賞で1着。尾形厩舎は五大クラシック競走の完全制覇を達成。

5月25日、八木沢勝美騎乗のクリノハナが東京優駿で1着。

1953年

4月26日、保田隆芳騎乗のハクリヨウが皐月賞で1着。

11月23日、保田隆芳騎乗のハクリヨウが菊花賞で1着。最初の年度代表馬に選出された。

1954年

5月16日、保田隆芳騎乗のハクリヨウが天皇賞(春)で1着。

1956年

6月3日、保田隆芳騎乗のハクチカラが東京優駿で1着。

1957年

11月23日、保田隆芳騎乗のハクチカラが天皇賞(秋)で1着。

12月22日、保田隆芳騎乗のハクチカラが有馬記念で1着。

1958年

5月26日、ハクチカラがアメリカ遠征に出発。

1959年

2月23日、レイモンド・ヨーク騎乗のハクチカラがワシントンバースデイハンデキャップで1着。日本競馬史上初となるアメリカ競馬での勝利を挙げた。

1960年

12月11日、保田隆芳騎乗の二代目ハクシヨウ朝日杯3歳ステークスで1着。

1961年

5月28日、保田隆芳騎乗の二代目ハクシヨウが東京優駿で1着。

1962年

12月16日、保田隆芳騎乗のグレートヨルカが朝日杯3歳ステークスで1着。

1963年

4月29日、森安重勝騎乗のコレヒサが天皇賞(春)で1着。

5月12日、森安重勝騎乗のメイズイが東京優駿で1着。

11月17日、保田隆芳騎乗のグレートヨルカが菊花賞で1着。

1964年

黄綬褒章を受章。

1966年

勲五等双光旭日章を受章。

11月3日、保田隆芳騎乗のコレヒデが天皇賞(秋)で1着。

12月25日、保田隆芳騎乗のコレヒデが有馬記念で1着。

1968年

12月15日、保田隆芳騎乗のミノルが朝日杯3歳ステークスで1着。

1969年

4月20日、森安重勝騎乗のワイルドモアが皐月賞で1着。

5月18日、森安重勝騎乗のシャダイターキン優駿牝馬で1着。

1970年

5月31日、矢野一博騎乗のメジロアサマ安田記念で1着。

11月29日、池上昌弘騎乗のメジロアサマが天皇賞(秋)で1着。

1973年

6月10日、伊藤正徳騎乗のハクホオショウが安田記念で1着。

1977年

5月29日、伊藤正徳騎乗のラッキールーラが東京優駿で1着。

1981年

9月27日、89歳で死去。15分後に行われたセントライト記念で、伊藤正徳騎乗のメジロティターンが1着。最後の重賞となった。

2004年

調教師顕彰者に選出。

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