概要
最大の特徴はその個人の出生関係に基づく「家族(戸)単位」で登録している。
なお、住民票は在日外国人でも作られるが、日本において戸籍が存在するのは皇族を除く日本国籍者のみであり、ある意味で現代においては「誰が日本国籍者かを家族単位で管理する」もの、太平洋戦争の終戦までは「誰が天皇の臣下かを家族単位で管理する」ものと言える。(「家族単位で」と言うのが他国における国籍管理のやり方に対する特徴)
この為、日本においては、公職選挙法にもとづく選挙に立候補する際は、立候補手続の1つとして戸籍謄本の写しを選挙管理委員会に提出する事が義務付けられている。つまり、「国会議員の○○は本当は日本人ではない」というような意見は、「選挙管理委員会が調査しても見抜けないようなやり方で、戸籍を偽造する方法が存在する」という陰謀論を前提としていると言える。ましてや、国会議員や地方議員が他の国会議員・地方議員を批判する際に、そのような事を言うのは、選挙の立候補の手続を知っている筈である以上、デマを信じてしまったなどではなく、嘘だと自覚して言っている可能性が高い。(実際に、1960年代の東京都知事選で、既に死亡していた人物の戸籍を自分の戸籍と偽って立候補した者が居た事が、選挙管理委員会による調査の結果、判明した実例が有る)
要は「選挙管理委員会が立候補を受け付けたが、ネット上などで『実は日本国籍を持っていない』という疑惑が出た地方議員・地方自治体首長・国会議員候補」に対して戸籍の開示を求めるのは「公的機関がちゃんと調べても偽造だと見抜けない戸籍の偽造方法が存在するが、ネットの集合知などを活用すれば、その『公的機関がちゃんと調べても偽造と見抜けない偽造戸籍』を偽造と判別出来る筈だ」というかなり無理が有る条件が成り立たない限り、騒いでいる人間の自己満足以外には何の意味も無い。
また、何らかの理由で「日本国内で生まれ、少なくとも片親が日本国籍者」など日本国籍を取得出来る条件が有りながら、無戸籍者となった者(例えば出生届が行なわれなかったなど)は「日本国籍者または正当な方法で日本国籍を取得出来るにも拘らず、それを証明する事が出来なくなっている状態」とも言える。
また、明治以降の日本の戸籍には「本籍地」の記述は有っても、現住所の記述は無い為、戦前・戦中は「本籍地以外に一定期間以上居住する者は、現住所を役所に届ける事」という規則が有り(早い話が戸籍の本籍地に徴兵や納税の通知を送っても、そこに本人が居るとは限らない為)、また、戦後においては「戸籍」と「住民票」の「表面的には似ているが細部が違うし、そもそも、その制度を作った目的そのものが違う」ような2つの制度が併存する事になった。
古代中国で始まり、日本では飛鳥時代から導入され、大化の改新で本格化。
中世・近世では検地や宗門改帳などで登録。近代以降に復活し、現在でも続いている。
欧米では個人登録制度は個人単位で、戸籍のような家族単位の制度は多くが廃止され、ほぼ日本くらいしか戸籍を続けている国はない。(日本の植民地だった頃の戸籍制度が戦後も残っていた韓国でも最終的には廃止されている)
また、中国では日本の戸籍に相当する制度は有るが、細部や運用は日本のものと違う。
なお、有名人の結婚報道で「籍を入れる」という表現が使われる場合が有るが、法的には結婚により新しい戸籍が作られるので、結婚当事者の一方の戸籍に、もう一方が入るという事は無い。(ただし、戦後の戸籍制度の変更以前であれば、間違いとは言えない。ある意味で「籍を入れる」という言い方は、現在の実状を反映していない古い言い方が慣用句として残ったものとも言える)
近代戸籍の移り変わり
江戸時代の宗門改帳などを基に明治4年までに全国各地でそれぞれ戸籍が整備され、明治5年に最初の全国型戸籍が整備された。この干支が壬申(みずのえさる)であることから、この時出来た戸籍を壬申戸籍(じんしんこせき)と呼ぶ。
壬申戸籍では本籍と現住所は同じものとされ、住民票の役割も担った。しかしながらこの戸籍の様式は完全に全国で統一されなかったため、明治19年には新たに明治19年式戸籍が設定され、壬申戸籍は明治19年式戸籍に改められた順から改正原戸籍(法律の改正により新しい様式の戸籍に作り変えられた前の戸籍)となる。
壬申戸籍には病歴や犯罪履歴まで記載され、更にごく一部ではあるが御一新前の身分(穢多など)が記載されていたものがあった。昭和の中頃にこの壬申戸籍を取得して被差別部落民か否かを探ろうとした事例があったため、以降は閲覧禁止とされている(明治19年式以降のものは、現存していれば閲覧可能)。
明治19年式戸籍以降天皇と皇族の戸籍は分離され、彼らの戸籍は「皇統譜」に載るようになった。皇族が皇籍を離脱すると、皇統譜から名が削除されて新たに戸籍制度に組み込まれる形となる。
その後も戸籍制度の登記方式の変更によって、戸籍は明治31年式、大正4年式と改められる。
戦後になって昭和23年式戸籍が整備、昭和30年代から徐々に切り替わり始めた。この時、従来は血縁者は数代(孫や曾孫など)に渡って記載された他、傍系(叔父叔母、甥姪など)が記載されることもあった戦前の戸籍システムから大きく改製され、一世帯家族単位での戸籍に変化する。つまり結婚すると親の戸籍から抜けて新たに夫婦で戸籍を編製し、子供がまた成長すると…という具合になり、3世代以上が同じ戸籍に一度に記載される例は無くなった。また戦前は家父長制により「戸主」が設けられ実際に権限があった(戦前の戸籍改製は戸主の入れ替わりによって編製された)が、戦後は「筆頭者」という名に代わり、名目上のその戸籍の筆頭者という以外の意味合いは無くなった。もっとも古い人では今でも筆頭者を戸主と呼ぶことがある。
平成6年にコンピューター対応の横書き戸籍が導入され、平成10~20年頃までに全ての自治体で対応された。令和6年現在この平成6年式が現行戸籍となるが、令和7年より戸籍に記載される氏名に振り仮名がつく改製が行われることとなり、平成6年式も順次改正原戸籍となる予定。
ちなみに、現在閲覧可能な戸籍は、直系の先祖に限れば役所で請求可能である。以前は戸籍を有する自治体に出向くか郵送で送ってもらう必要があったが、令和6年以降戸籍の広域請求によって異なる自治体のものも(数時間から場合によっては数日かかるが)最寄りの役所で手に入れることが出来るようになった。
一番古い戸籍となると、自分から数えて5〜8代程度前のご先祖様まで遡れる可能性も有する。それらの人の中には、天保や文化・文政など今からおよそ200年前に生まれた人までいる場合もある(これまでに確認された中では、寛政や天明生まれの人もいたとされる。天明生まれともなれば令和6(2024)年から数えて少なくとも235年前である)。
戸籍謄本
戸籍に記載されている全員の身分事項を証明する戸籍の写しのこと。コピー機登場以前はこれも手書きで写された。電算化以降は「戸籍全部事項証明書」と言う。これに対し、戸籍の一部(戸籍に記載されている者のうち自分一人だけなど)の証明をするものは「戸籍抄本」「個人事項証明書」という。戸籍謄本は、事実上我々が戸籍を確認するにあたって使用する、戸籍簿そのものと言える。