良い機会だ。一つ概要を知っておくといい
『BLEACH』20巻170話にて本性を現した藍染惣右介の台詞。恐らくは劇中で彼の発した台詞の中で最も有名な名言だろう。
事の発端として、自身の死を偽装していた藍染が部下である雛森桃の前に現れた際、彼女の胸を刀で刺してその場を去ろうとした際、その場に日番谷冬獅郎が登場。
血まみれで横たわる雛森と愛染の裏切りの言葉に「騙してやがったのか…!」と、怒りを滲ませる日番谷だが、当の藍染はまるで悪びれる事無く「騙したつもりはないさ ただ、君達が誰一人理解していなかっただけだ 僕の本当の姿をね」と鷹揚に返す。雛森が自分にどれだけ憧れていたかを激しい怒気と共に訴えかける日番谷に対し、藍染は尚もこう続ける。
「知っているさ。自分に憧れを抱く人間ほど御し易いものは無い。だから僕が彼女を僕の部下にと推したんだ」
そして最後に言い放ったのがこの台詞である。
「良い機会だ。一つ覚えておくと良い、日番谷くん」
「憧れは理解から最も遠い感情だよ」
この言葉で完全に切れた日番谷は卍解して立ち向かおうとするも、あっさり返り討ちに遭ってしまうのだった…。
「台詞の意味を考えること」それ自体が、とても大切なんじゃないかと僕は思うんだよ
人気のアイドルやトップアスリート、金持ちや権力者……そう言うスターとして持て囃されている、社会的地位の有る有名人に対して、誰しもが羨望や憧れを抱く事だろう。
中にはその行為が美談として語られ、あたかも英雄の様に言われている者も存在するから猶更である。
だが、憧れを抱く前にその人物の事を良く見て欲しい。
傍から見ればどんなに立派に見える人間でも、出来ない事はあるし失敗もする。人に言えない悩みや葛藤だって抱くものである。
私生活等がだらしなくて見られたもんじゃないと言う残念な一面ならまだしも、最悪人間のクズや変人・変態ともいうべき本性や実態を持っていたなんて事も起こり得る。
勿論世間で言われているエピソードが、調べて見たら全くの嘘や出鱈目と言う事だって有る。
同じ事は将来どんな仕事に就きたいか、もっと言えばどんな生き方をしたいかについても当て嵌まる。
特にこの問題を考えなければならないのは中高生の少年少女達だと思われるが、例えば声優や俳優、漫画家、イラストレーター、YouTuberや歌手や芸人の様に、見た目の華やかさや楽しさから多くの人間がなりたい、やってみたいと思う職業と言うのはあるだろう。
しかし大概はそのイメージとは裏腹に、実際になれる人間が少なく、稼いで食っていける人間がごく一握りの厳しい世界だ。
加えて折角なれても、その理不尽が支配する腐った実態に失望して消えて行く者、そうやって無駄な夢を追って徒に歳を重ね、転落人生を歩んでしまう者も星の数程いる。
また、仮に成功を収めたとしても、それが自分の本当に求めていた物とは違う事に気付き、足を洗う者もいる事だろう。心の奥底では本当にやりたい事でもない事を、あたかも自分の1番やりたい事の様に思い込んでしまうと言うのも、上辺の素敵なイメージで人を騙す憧れの罠と言える。
この様に、憧れと言う物は、まさにそうした上辺の良さで人間の思考を停止させ、人物や物事の本質や実態の理解を邪魔して遠ざける色眼鏡に他ならない。
何かを正しく理解したければ、そうした憧れの色眼鏡を外し、余計な主観を挟まず客観的且つ有りのままに人や物事を見なければならない。そしてその対象を“自分の事”に置き換えて考えなければ、物事の実態や大切な本質は見えて来ないのだ。
上辺の良さに惑わされずに自分が本当に何がしたくて何が大切か、己にとって何が一番幸せかしっかり考え、己の軸をしっかり持って生きて行って欲しい。
最後に関連タグでも記そうか
私が天に立つ:藍染の名言の1つ。
該当する人物の例
経緯や関係性自体は千差万別だが、総じて相手を「弱さや挫折も抱えた一個人」とは見ていない点は共通している。
ルイーゼ(進撃の巨人):ミカサに憧れるあまり、別勢力で過激な工作活動を幇助する事で近づこうとするが、結局終始裏目にしかならなかった。
チェレーザ:かつて自分を救ったウルトラマンに憧れ、自分もそうなろうとした者。だがそのための手段は、ウルトラマン達が戦う侵略者達の手口そのものだった。
ウーナン:「世界中の黄金を手に入れる事」に憧れていた心算が晩年、本当に自分の求めていた物は「黄金を手に入れるまでの冒険の日々」だったと理解してこの世を去った人物。これもまた、憧れが理解から最も遠い感情である事を示す一例と言える。
シャーロット・フランペ:兄であるカタクリに憧れていたが、当の本人に余計な横槍を非難され、文字通りに彼の素顔を知るや否や、掌を返しアンチに走った身勝手なファンの見本。
ナザリック地下大墳墓のNPC達:本記事のセリフを特に分かりやすく体現している好例。
アインズに絶対の忠誠を誓うも、全員忠誠心が厚すぎて主を全知全能の存在と盲信。主の方もそんな部下達の期待を裏切れず苦心を繰り返す泥沼の様相を呈している。
クライム、ネイア・バラハ:上述と同作品のキャラクターで、彼らも本記事のセリフを分かりやすく体現していると言える。
二人とも、故郷を滅茶苦茶にし、大切な人を奪った元凶の本性に気付かずに、崇拝の念を向けている道化繋がりという共通点がある。特に前者に至っては、自身が忠誠を誓っている彼女の野望のせいで拳の上に踊らされ、悲惨な末路を迎えるなど、境遇が雛森と似ている。
カイ:メルヘヴンの続編『MARΩ』の主人公。前作の主人公『虎水ギンタ』に憧れているが、人を傷付ける事や仲間が実の姉を殺そうとするのを躊躇するのを克服し、強い覚悟を持って戦っていたギンタの心情を理解しておらず、彼の英雄として持て囃されている表面しか見ていないと思われる描写が多い。結局、様々な意味でギンタの後継者にはなれなかった。
最後に
この記事は決して、この記事を見ているあなたの夢や目標を否定しているわけではない。
確かに憧れという視点でしか見ないのは愚かだ。
だが、最も愚かなのは、この記事を盾にし、何もかもを否定し、己の殻に閉じこもる者だ。
この記事だけが、考えの全てではないことを、よく知ってほしい。
この記事だけを鵜呑みにせず、しっかりとした情報や体験談から、本当に目指すものを、見つけてほしい。
そして、いつしかこの記事を見ている人たちが、「憧れ」という呪縛から解け、「目標」として目を向けられる事を、願っている。