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山崎貴の編集履歴2024/01/24 11:33:46 版
編集者:ドア
編集内容:アカデミー賞ノミネートの件

人物像

1964年6月12日生まれ。長野県出身。

阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。映画監督の佐藤嗣麻子は妻。

13歳の時に見た『STARWARS』と『未知との遭遇』の影響で特撮の道を目指すようになり、1986年白組に入社。

CMや映画でのミニチュアセット製作や伊丹十三作品でのVFXを担当し、2000年の『ジュブナイル』で映画監督デビューを果たす。

以降、日本でもトップクラスのVFX製作者として大作・話題作を手掛け、実写邦画界では貴重なヒットメーカーとして活躍している。

その一方、2011年の『friends もののけ島のナキ』より、3Dアニメも多く製作している。

2005年の『ALWAYS三丁目の夕日』で第30回報知映画賞最優秀作品賞、日本アカデミー賞監督賞を受賞。その後『続』『'64』と続編が作られ、3作合計で興行収入100億円を突破する大ヒットシリーズとなった。

2014年の『STAND BY ME ドラえもん』で第38回日本アカデミー賞 最優秀アニメーション賞を受賞。

作風・評価

  • 上述の通り日本のVFXをリードする稀有な作り手であるため、大作の仕事が次々と舞いこむ売れっ子になっているものの、ヒットを意識するあまりお涙頂戴に傾倒している、説明を台詞に頼りすぎている、など主にVFX以外の面で批判を受けることもあり、常に激しい毀誉褒貶が付きまとっている。特に自身が兼任することの多い脚本については、その手腕を疑問視する声が多い。
  • かつて存在した雑誌『映画秘宝』誌面や、同誌とかかわりの深い柳下毅一郎ライムスター宇多丸などの批評においては酷評の常連である。同誌の取材を受けた際には「敵」じゃないのかと自虐ネタを漏らしてもいる。ただし、宇多丸は山崎のアンチ的な存在であることは否定しており、『アルキメデスの大戦』は大絶賛している。
  • 一方、本領であるVFXについてはほぼ毎回高評価を得ており、脚本や演出面で批判される作品においてもVFXにケチが付くことは非常に少ない(というか、ほぼない)。特に『永遠の0』『アルキメデスの大戦』などにおける太平洋戦争の戦闘描写、『SPACEBATTLESHIPヤマト』での宇宙戦や波動砲の実写映像化などは評価が高い。『ゴジラ-1.0』では、ハリウッド映画と比べて遥かに低予算(それでも10~20億円程度はかかったとされるが)でありながら、それにまったく見劣りしない大迫力の映像を作り出し、目の肥えたアメリカの映画ファンからも「一体どうやったらあんな低予算でここまですごい映像を作れるんだ!?」と非常に驚かれただけでなく、日本映画史上初めてアカデミー賞視覚効果賞候補作にノミネートし、彼の映像制作技術が世界トップレベルのものであることを証明してみせた。
  • 覚えやすさを狙ったシンプルな英語タイトルが多く、「山崎貴メソッド」などと揶揄的に取り上げられることがある。ただし、これは阿部秀司プロデューサーの発案であり、山崎の考案ではないとされている。

人物

  • 映画監督になれなかったときは教師になるつもりだったらしい。しかし「「絶対に映像業界に入る」 という自信だけはありました。親や環境を言い訳にして諦められる道なら、 所詮、その程度のことなんだと思います。」と強気なコメントを残している。
  • 上述の通り、伊丹十三のもとで下積みをしていたことから伊丹を映画の師匠としており、伊丹十三関連の特集では必ず氏のインタビューが掲載されるほか、後年自身が監督した『STAND BY ME ドラえもん2』には伊丹の妻である宮本信子のび太のおばあちゃん役で出演している。
  • 当初、初監督作として企画したのは『鵺/NUE』というオリジナル企画であった。しかし内容的に高い予算が必要と判断されたため実現せず、もう一つの企画である2000年公開の『ジュブナイル』で監督デビューを果たした。
  • 女性漫画家グループCLAMPと親交があり、『カードキャプターさくら』の山崎貴史のモデルとなっている。曰くお酒が入るとこんな感じなんだとか。
  • 戦争映画を多く手掛けていることについて、自分の年齢が戦時中の世代を直接経験した世代から話を聞けた最後の世代になるという思考から反戦を訴えているとのこと。しかし、戦争の悲惨なことのみを伝える内容が正しい反戦映画ではあるがそれをすると一般人に伝わりにくいため、やはりエンターテインメント作品にしながら伝えていきたいと述べている。
  • 今や彼の代表作である『ALWAYS三丁目の夕日』については当初、「SFをやりたいのに何で昭和」と乗り気ではなかった。しかし製作をするにあたり「CGを駆使したVFXなら、未来の空想世界だけでなく実際にあった過去も描いて人の心の奥まで揺さぶる力がある」と考えを改めたという。
  • BUMPOFCHICKENの大ファンであり映画の主題歌へのオファーやミュージックビデオなどの映像作品の製作を担当するなど互いに深い関係にある。
  • 『ドラゴンクエストユアストーリー』については、クライマックスでの衝撃的な展開から、山崎に批判的な勢力から現在でも恰好の槍玉として挙げられることが多い。ただ、これに関してはプロデューサーや堀井雄二からの熱烈なオファーを受けたが、長らく断り続けており、最終的に山崎本人が折れて手掛けることになったという経緯があった模様。山崎本人はゲームの映画化については「ゲームは人によっては何十時間もやるメディアですから感情移入の幅が半端ない。それを映画という技法で対抗するのは難しい」「そもそもゲームを映画化してうまくいった作品をあまりよく知らない」と批判的な分析をしていたという。件の展開についても、止めずにGOサインを出したスクエニ側や堀井氏にも責任があり、同作の責任のすべてを山崎氏におっかぶせるのは筋違いではないかという意見もある。

ゴジラとの関わり

  • ゴジラシリーズの大ファンである。野球中継が中止になった際にいわゆる「雨傘番組」としてゴジラ作品が放送されていたのをよく見ていた世代で、子供の頃から馴染み深かったとのこと。幼い頃からよくゴジラの絵を描いており、大人になってからもゴジラのラフスケッチを描きながら自分にとっての理想のゴジラ像を模索し続けていたという。
  • 2007年の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』冒頭では、昭和の日本を蹂躙するゴジラをフルCGで描き、シリーズファンを歓喜させた。邦画界においてフルCGのゴジラが本格的に描かれたのは、これが初めてのことであった。
  • しかしその後、山崎のVFX技術を活かした新作ゴジラに期待する声も大きかったものの、なかなかゴジラ作品を手掛けることはなく、実現したのは2023年『ゴジラ-1.0』でのことである。ただしそれより少し前の2021年には、西武園ゆうえんちのアトラクション『ゴジラ・ザ・ライド』も手掛けている。
    • 一応、オファー自体は来ていたらしいが、山崎は上記の三丁目の夕日の約2分のシーンを仕上げるだけで半年もの長い時間を要したことで、「ゴジラをVFX技術で描き切るのは並大抵のことではない」と考え、オファーが来ても敢えてそれを受けなかったことを明かしている。
    • 一応、『ゴジラ-1.0』の企画およびプリプロと『ゴジラ・ザ・ライド』の制作はほぼ同時に行われていたとのことで、『ライド』で培われたノウハウが『ゴジラ-1.0』の制作においても大いに活かされたという。山崎が今になってようやくオファーを受諾したのも、映画を制作できるだけの技術の蓄積が十分にできたという自信と確信があったからだと思われる。
  • 2016年に『シン・ゴジラ』を鑑賞した際に感想を求められて「次にやる人はハードルが高くなっちゃいますよね」とコメントしたが、その「次」の依頼が自分の元に来たことでコメントが見事なブーメランになってしまい、「やってもうた」となったらしい。それどころか、同作は日本国内は勿論、世界規模で100億円以上の興行収入を達成する等、日本映画全体で見ても海外の映画市場でかつてないヒットを飛ばすこととなり、結果的に山崎自身も次にゴジラ映画を制作する人へのハードルを大いに上げてしまったと言える。
  • 「『ゴジラ-1.0』公開記念 山崎貴セレクション ゴジラ上映会」において、山崎が上映に厳選した作品は『初代ゴジラ』『三大怪獣地球最大の決戦』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』『シン・ゴジラ』の4作品。このうち2作品の監督である金子修介庵野秀明と対談している。また近い時期に業界に入った樋口真嗣とも仲が良く、『平成ガメラ』のころから飲み仲間である。

作品

映画

関連タグ

映画監督 白組

水島努 - 高校時代の後輩

古沢良太 - 『三丁目の夕日』『寄生獣』で組む

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